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画家フェチの美術鑑賞方法

「趣味は美術鑑賞です」といい続けて早十数年。
毎年、年間10回程は見に行っている。

一緒に人と美術展に行くこともあるが、鑑賞の仕方はそれぞれだなといつも思う。

鑑賞の手順や展覧会への思い入れなど、そのポイントは様々だ。
必ず順番に回る人、最後に一回逆流して見たいものを見に行く人。
作品から見る人、タイトルと解説文を読んでから作品を見る人。
同行者と会話をしながら鑑賞する人、入口解散で物販コーナーで再集合する人。


私の鑑賞方法でいうと、基本的に一人で午前中から入って回覧することが多い。

展覧会のテーマが推しメインかそうでないかかも重要なポイントである。
推しが関係ない場合は、人と一緒にも行く。
しかし、本当に興味がある分野は一人で行くと決めている。

好んで鑑賞する美術館や美術展のテーマは重複することが多い。
海外の作品で「○○年ぶりに日本上陸!」とうたうものであれば新鮮さがあるが、私の推し作品たちはは国内にある作品が多いので同じ絵画を1年~数年に1度は鑑賞している。紹介の新鮮味も特段ない。

どうやって作品や画家を推しているのか。
改めてまとめてみたい。


鑑賞する際、自分の好きな画家の作品には会いに行く感覚で行っている。

ファンミ(ファンミーティング)に近いかもしれない。

美術館の入口のポスターを見て、気分を高揚させながら展示ブースに入る。
目録は手に持つが、巡回するまで作品の一覧はみない。目録は自宅に帰ってから見る、振り返り用である。

推しの作家の作品でも初めてお目にかかる作品だと、こんなのもあるのか、と過去の自分の記憶とか本で読んだことを引っ張り出して浸ることが多い。

一度みた絵画だとそこからもう一歩先に踏み込む。

推しの絵画に出会ったときは挨拶から入る。
「ご無沙汰しております。前回は○○でしたがこうなりました。
また本日も鑑賞させていただきます」と心の中でひとりごちながら絵画を見る。

神社で参拝するような心持だ。
できうるだけ静けさを自分の中に求める。

挨拶を経て、絵画を眺める。
そして、美しさだったり、勢いだったり、作品の持つ力にどんどん惹かれていく。
うっとりとしてしまう。

同じ絵画でも、毎回着目するポイントは自然と変わっていく。
こんな背景の書き込みだっけ?
こんな筆の運びだっけ?と。

一度鑑賞した作品でも途中から記憶補正が入るのですべてを鮮明に覚えてはいないようで数回絵画をみても新しい発見があるのだ。

自分の着目点は、今自分が気にしているポイントだったりもする。
例えば、私の最大の推し、松本竣介の作品「立てる像」だと、真ん中にたつ人物が雄々しいと思って初回は思っていたが、二回目は彼の表情の分析、三回目は背景の描き方などそれぞれの部分が見えるようになる。
自分のそのときの興味関心、着眼点、そして思考のクセが一気に同じ絵画を鑑賞することであぶりだされる。

人を見ているときは、自分のみてくれ意思について自問自答しているとき。
風景に意識が行くときは、ただぼうっとしたいときや俯瞰して物事を考えたいとき。

推したちの絵画を鑑賞することで、彼らとの接点を持つことはもちろん、自分のセルフコンディションチェックもしている。または、させていただいてるというべきか。

そして鑑賞後は「また、お伺いします。本日は失礼します」とキャンバスに向けて念じて去る。

次回がありますようにと信じながら、またその作品を元気よく鑑賞できる自分でありますようにと念じながら。

そんな調子で絵画鑑賞をしている。


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