日本書紀や古事記は、どうも大和朝廷に都合よく、歴史が書き換えられているように見えるのは何故か。それは、司馬遷の史記の影響であろうと考えられる。
(はじめに)
日本書紀や古事記、いわゆる記紀は、通読してみると、辻褄の合わない事が多く、各部族や国家が伝えてきた神話をつぎはぎしたものに、どうしても思えてしまいます。
例えば、記紀と先代旧事本紀を見比べると天孫降臨が2回あったことになります。一回は、近畿の饒速日命のとき、もう一回は瓊瓊杵尊が高千穂の峰に降りたときです。どちらの天孫降臨の随伴者の中に、同一の人物、天太玉命、天兒屋命がおられます。これって、変だと思います。これらの随伴者は、二度も天から降りて来たんでしょうか?途中でいつ天に帰ったのでしょうか?私の遠い先祖は天兒屋命と聞いていますが、苗裔の私もおかしく思います。今までは、天皇家の先祖と一緒に高千穂の峰に降りたと信じていたのですが、どちらかの天孫降臨が、創作じゃないかと疑問に思います。
1. 司馬遷の史記
最近、「岡田英弘著作集IV シナ(チャイナ)とは何か、藤原書店、2014」を読んでいます。その中に、首題の問いに答える極めて示唆に富む記述がありました。以下少し引用いたします。
p205
「正統」と「天命」
夏も、殷も、周も、その実態は王朝の名に値する様なものではなかった。多数の都市国家の中で、軍事力がやや大きかったものにすぎない。
(中略)
そうした実情にもかかわらず、「史記」が夏・殷・周を、実際にシナを統治した秦の始皇帝や漢の皇帝たちと並べて「本紀」に列しているのは、「正統」という理論に基づくものである。いかなる政治勢力でも、実力だけでは支配は不可能であり、被征服者の同意を得るための何らかの法的根拠が必要である。シナ世界では、そうした根拠が「正統」という観念である。唯一の「正統」(シナ世界の統治権)が天下のどこかにつねに存在し、それが五帝から夏に、夏から殷に、殷から周に、周から秦に、秦から漢に伝わった、というのである。この「正統」を伝えるのが「伝統」である。
p207
後世の歴代の王朝も、漢に負けずおとらず、前代の王朝から「正統」に引き継いだことにして天命の保有を立証する必要に迫られて、「禅譲」の形式を装ったり、前代の帝権を象徴する遺品を誇示したり、「革命」「受命」の正当化に苦労したのであった。
p210
とにかく、司馬遷の「史記」によって、シナ文明における歴史の性格は決定した。皇帝が統治する範囲が「天下」即ち世界であり「天下」だけが歴史の対象である。
言い換えれば、シナ文明の歴史は、皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴史である。あとはその時代その時代の後任の「正史」が、「史記」の形式を少しも変えず踏襲して、皇帝を中心とする世界(シナ)の叙述を続けてゆくことだけが、シナの歴史家の宿題となったのである。
2. 記紀に対する司馬遷の史記の影響
上述のシナの歴史に対する岡田先生の記述から、日本の歴史に対する記紀への影響を考えてみます。
日本の正式の歴史書「日本書紀」には、大和朝廷が「正統」な王朝であることを主張するものになっている。したがって、大和朝廷に匹敵する大国であった「出雲王朝」や饒速日やナガスネヒコの「日高見国」には、正当性が認められない。それで「出雲王朝」(大国主神が治めてきた豊葦原水穂国)も大和朝廷に、帝権を「禅譲」した、つまり「国譲り」した。平和裏に行ったように聞こえますが、おそらく武力で制圧したものと思われます。また、神武東征の折、饒速日やナガスネヒコの「日高見国」には、天孫降臨してきた饒速日には天津神の子であることを示す十種神宝(とくさのかんだから)があるという王朝の正当性の主張には、神武軍は非常に困ったものと考えられます。そこで、記紀には、このことには全く触れず、神武天皇には、天津神の子であることを示す三種の神器が伝わっており、高千穂の峰に天孫降臨してきたと、饒速日とそっくりな神話に書き加えたのではないでしょうか。このようにして神武側も帝権を象徴する遺品をきちんと有していることを誇示したのではないかと思われます。
(おわりに)
となると、大和朝廷以前に、いくつかの大国がこの日本列島に存在していたという事になります。それらを、鉄剣という強力な武器で征服した。しかしながら、いかなる政治勢力でも、実力だけでは支配は不可能であり、被征服者の同意を得るための何らかの法的根拠が必要です。それで、日本列島でも、シナの「正統」という理論に基づいて、大和朝廷の正当性が主張されたものと考えられます。
したがって、日本書紀や古事記が、大和朝廷に都合よく歴史が書き変えられていると思われるのは、大和朝廷の正当性を主張するため、司馬遷の史記の「天命」と「正統」という歴史認識理論を用いたためであろうと考えられます。
皆様どう思われますか?
(付記)
私の家系は、最も古いご先祖は、天兒屋命と聞いております。それで私は、天皇陛下のご先祖のお供をして、一緒に高千穂の峰に天孫降臨しきて、この日本国を作った一族だと、子供の頃よりひそかに自負して居りましたので、決して、私は現在の天皇家の正当性を否定したりするものではありません。皆様誤解なされませんように。子供の頃より、自分の先祖が一体どこから本当は来たんだろうという疑問を抱いて、長年古代史を考えてきましたが、どうも、記紀に書いていることに疑問があり、関連で中国史を調べていて、この司馬遷の史記の「天命」と「正統」という歴史認識理論に遭遇しました。これから考えると、日本の古代史も、上のようにこの理論から考えた方が、理解しやすいと思うに至りました。
2024.6.1 随筆
*なお冒頭の「古事記1300年記念碑」の写真は、下記のURLの一般社団法人 田原本町づくり観光振興機構のホームページから引用させて頂きました。
https://tawaramoton.com/spot/%E5%B0%8F%E6%9D%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE/