信濃国分寺の歴史と見所
信濃国分寺は、1300年位前に聖武天皇の命により建立されました。しかし、いまから1080年くらい前の平将門の乱の時に将門の焼打ちにあい焼失しまし た。村人が御本尊の薬師如来を運び出してお守りしたためご本尊は残りました。800年前には頼朝がここにきて三重塔をたてて寄進したといわれています。
写真1:信濃国分寺御本尊、薬師如来像:800年前の平将門の乱のとき信濃国分寺が焼き討ちに遭うも、住民がこのご本尊を運び出し難を免れた。これは信濃国分寺12年に一度の御開帳2013年4/28-5/5の期間に撮影したもの。
写真2:伝源頼朝建立三重塔(重要文化財)
写真3:上田市最古五輪塔(口承:頼朝塚)
写真4:信濃国分寺本堂:800年前の平将門の乱のとき焼き討ちで焼失も、160年前の江戸末期に再建。
400 年前にはここが、徳川軍の陣地となりましたが、真田軍は徳川秀忠軍を2度にわたり破りました。今も上田市民の誇りです。また、今から160年くらい前の幕末に大勧進(大規模な寄付)が行われ、現在の立派な本堂が再建されました。100年ほど前に、明治時代の三将軍、伊東祐亨、東郷平八郎、上村彦之丞がここを訪ねて きてお参りしました。幟はその時に書いていただいたものです。
写真5:伊東祐亨将軍(日清戦争連合艦隊艦長)直筆の幟
写真6:東郷平八郎将軍(日露戦争連合艦隊艦長)直筆の幟
写真7:鎮国道場(伊東祐亨書)の額:本堂拝殿の頭上
写真8:三将軍(伊東、東郷、上村)御手植記念植樹の石碑
写真9:乃木希典直筆の石碑
また、周りの寄付標には大隈重信、辻信次、渋沢栄一、朝吹英二などの著名人のものがあり、必見です。
写真10:大隈重信(明治の政治家、早稲田大学創立者)と辻新次(初代文部省事務次官近代学制の創立者)の寄付記念碑:ここにお参りすると、大政治家や高級官僚になれるそうです。
写真11:渋沢栄一(明治大正の実業界の巨星)と朝吹英二(三井財閥の経営者)と の寄付記念碑。ここにお参りすると、大金持ちになれるそうです。
以上のように信濃国分寺には、鄙(ひな)にも希な見所が多数あり、歴史を感ずるところです。ぜひ、上田に来られた時は信濃国分寺もお訪ねください。
*なお、冒頭の写真は、2013年4/28-5/5の期間、12年に一度開かれる信濃国分寺御開帳の案内のチラシの写真です。
2013年4月27日随筆
2021年11月26日加筆
信州上田之住人和親