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女系天皇容認論は無意味である

1.はじめに


昨日の河野大臣の「究極的には女系天皇容認もやむなし」という旨の発言に賛否両論あり話題になったので、僕なりに女系天皇を容認すべきかという問題について考えてみました。
はじめに結論から言ってしまうと、タイトルにあるように僕は皇位継承問題を議論する際に、「女系天皇を認めるべきか」という問題設定をすること自体に疑問を抱きます
以下で僕なりの考えを説明していくので、よろしければぜひ最後までお付き合いください!

2.一般人にはピンとこない「万世一系」


まずなぜ天皇の皇位継承が男系継承でなければならないのか(男系継承とは何かについては省略いたします、、)、なぜ女系天皇ではダメなのかという問いに、女系天皇を認めたくない人たち(僕もそうです)がいつも言う主張は、「男系による万世一系を途絶えさせてはいけないから」ということだと思います。

これを聞いて、一般の人だったらどうでしょうか?
まず、万世一系ってなに?そもそも男系ってなに?みたいな、そういう人が大多数なのではないでしょうか?
たしかに、古事記や神道について学んだりしたことのある人なら、初代神武天皇から続く万世一系の皇統の重要さや尊さについて理解できると思います。
しかし、一般の人はそうは思いません。
一般の人に万世一系を理解してもらうことはなかなか難しい面があります。

3.「なぜ皇位は男系か?」の議論はそれ自体不要である


では、なぜ難しいのか?
それは、天皇が宗教的存在であるからです。
ここをおさえないで議論をするから、変な方向に流れてしまう(女系天皇容認論が議論される)と僕は思います。

ここでまずみなさんにおさえていただきたいのは、天皇を基礎付ける神道という宗教上、「皇位は男系継承でなければならない」という大前提があり、そして「そのような宗教上の大前提を誰も覆すことはできない」という点です。

たとえば、「南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土にいける」という宗教上の教義について議論する人がいるでしょうか?同様に、「ムハンマドは本当に預言者なのか?」ということをみんなで議論しているでしょうか?
それらは宗教上の大前提として無条件に受け入れられているもので、それが成り立つかの議論は意味をなしません。

「皇位は男系継承でなければならないのか」という議論も同様で、そもそも宗教上の考えである以上、それを議論する余地はありません
それは「そういうもの」なのです。

4.「万世一系」を語っても"今は"理解してもらえない


しかし、そのような大前提は、その宗教を信じている人たちにとってはすんなり受け入れることができますが、その他の人たちはそうはいきません。そこで天皇を守りたい人たちと、無関心な一般の人たちとの間に認識の違いが生じてしまいます。つまりこのギャップは、「天皇が宗教的存在である」ゆえに生じてしまうものです。

5.あるべき議論


しかし、だからといって一部の有識者の間で皇位継承問題を議論すべきではありません。憲法上、「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」とされている以上、やはり一般の方々を含めた日本国民全体の合意を得ていく必要もあります。

では、どのようにしていくべきか?
これまでの話から、従来のように「男系による万世一系を絶やしてはならない」というアプローチでは効果がないし、一般の人にも響かないということがわかります。

しかし、「2千年以上続いてきたものを残そうと思えば残せるけど、どうする?」という問いならどうでしょうか?
天皇は2千年以上男系で継承してきた、そして旧宮家復活などによればそれを維持できるけどどうする?というふうに問われたら、「じゃあそんな長い伝統を残せるなら残そうよ」という感覚に一般の方もなると思うんです。そして従来のような宗教上の大前提を議論するような無益なものに比べ、こちらの方が全然有益な議論であるといえるのではないでしょうか?

ワイドショーなどでは「なぜ男系じゃなければダメなのか?」「女系天皇を容認すべきか?」を永遠と解説していますが、それは問題提起自体が不適切です。
なされるべき問題提起は「残せるけど残すか、そうでないか?」ということなのではないでしょうか?

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!!



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