映画「正欲」感想
朝井リョウさんが書かれた小説が原作で、私はオーディブルで聴く読書をしたので、内容は知ってた作品「正欲」の映画を観ました。
原作小説の感想
私は佳道と夏月のラストのセリフに一番思い入れがあります。
ネタバレせずに言えることは、このふたりのラストが好きだということ。
映画でどんな風に映像化されるのか、楽しみにしてました。
ふたりが放ったメッセージに、なんだこの展開は。めちゃいい!!ってなったことを強烈に覚えています。
今回の作品は、難しい話のようでいて、誰もが抱えている孤独感や欲求、本質のようなものをこれでもかって表現されている。
すごくわかりやすいメッセージがたくさん散りばめられていて、寄り添いながら振り回された感じ。
わかると思いながら、わかってないんだろうなと思う。
わかりやすいと言ったけれど、言語化するのは難しい。
どこに焦点を当てるかによっても見え方は変わる。
とりあえず、この作品を人と語りたい。そう思わせてくれる小説でした。
余談ですが、朝井さんが前に出てたTVで、自分の作品について「伝えたいことがそのまま伝わるように、誰が読んでもわかるように書いている」「それでも、意図と違う読み方や解釈をされることがあって、じゃあもっとわかるように書かなくては!と次の作品を作る」というような話をしていたのをふと思い出した。
この正欲も、わかりやすく、こういうことを受け取ってね!と思いながら書いたのかなと想像して、私はその意図を汲み取れたかわからないから、答え合わせしてほしい気持ちになったのです。
ここの伝えたいことはこうでこうでこうですよ、とくどいほどの解説をしてほしい。
映画の制作発表された時は、ガッキーなのが意外だったのを覚えてる。
あとは、稲垣吾郎さんがいろいろあって今ほど表舞台に出てなかった+あまり俳優としてのイメージがなかったから、演技することと主演で出ることにも驚いたな。
役のイメージには合ってるな、って思った気がします。
磯村勇斗さんは、最近いろんなところで見かけてなんとなく好感が持てる俳優さん。役に合う雰囲気を纏ってて、素敵な配役だと思いました。
映画の感想
まず、映画の序盤でタイトルが流れるあたりの、夏月(ガッキー)が出ているシーンがとても印象的でした。
映像ならではの表現がされてて、この作品で描かれているテーマをしっかり印象付けてた。その映像に、あの静かでシンプルな音がまたよかった。
インパクトがあるから、予告で使われてそうな映像なのに、私がたまたま目にしていないだけかもしれないけれど、この場面をプロモーションで見ることなく初見だからこそ「こんな風に表すのか」と驚けたんだと思う。
たまにネット上で映画の作品について”予告が一番おもしろい”とか言われたりするのは、映画を見てもらうためにいいシーンや印象的な場面、最高の瞬間が切り抜かれるからだろうけど、そのせいで本編より予告の方がいいって言われるのは悲しい。
基本的には、原作を読んだ(聴いた)とはいえ、だいぶいろんなことを忘れてて、新鮮に見ることができました。
原作とは設定が違ったり表現が違うシーンもたくさんあるだろうから、映画を見たことで原作をまた読み返したくなりました。
映画、おもしろかったです。
なんか、上の文だと気持ちが伝わってない気がした。
これじゃ私の気持ちと乖離した文章だなと思ったので、この熱量をそのまま文字にするなら「他の人の感想聞きたい!作者の感想も教えて!!てか、もっかい原作読みたい!!!」という感じです。
アホみたいな文字面になってるけど、思ったままを文字にしたらこんなことに。
自分の気持ちを、言葉にするのって難しいです。
映画と原作について、ネタバレあり
ここからが私の感想の本編かも。
原作を読んでいない、又は原作を読む予定でネタバレしたくない人は読まないでくださいね。
そして、当たり前だけど。あくまでも主観なので正解かどうかはわからない、個人の感想です。
佳道と夏月
佳道(磯村くん)と夏月(ガッキー)のカフェシーンと、朝ごはんの卵焼き食べるシーンがよかった。
この作品の雰囲気として和やかなシーンはそう多くないんだけど、この辺の空気感にホッとした。
何気ない穏やかな幸せがいいのよ。
磯村くんいいなぁ。
あと、動画の話のところでコメントをしているのがお互いだと思っていた時のシーンで二人が「その人、独りでいないといいね」「誰も、独りでいないといい」というセリフがとても優しくて、そんな世界になったらいいなと本気で思ったし、温かい気持ちになりました。
少し脱線します。
ひとりで生きるの、私は元々大賛成なんです。
ひとりはダメだとか、強がりって言ってくる人、その考えなんなのさって思っちゃう。
誰かといて生きづらかったり、辛い生活をしている人がいるなら、ひとりでもいいじゃない。と昔から思ってた。今でも思ってる。から、”結婚したら”とか、”子供を作らないと”とか言われると、なぜそうしなきゃなの?幸せの形はそれだけなの?と疑問に思う。
夏月も職場の人に怒ってたね。
恋人欲しい人や、結婚したい人がいて、その人がしたいならそうすればいい。同じように、ひとりでいたい人がいたら、ひとりでいたらいい。
ただね。
”独り”だと人間は辛くて、おかしくなっちゃうみたいです。
誰とも理解し合えないとか、孤独を感じるのは本当にしんどい。
本当の意味で独りで生きていきたい人なんて、いないんだろうね。
恋人や家族、友達…形はなんでもよくって。
要は「繋がり」が必要なんよね。
映画では、夏月が佳道にお願いして、人の重みや温もりを感じる場面があります。この世界が生きづらいと思ってた二人が、人の温かさ、ふれあいの心地良さを知ったシーン。
エロい意味じゃない方の、家族や同性にも感じるような”触れ合いによっての人の温もり、重み”は、わかっていたけどやっぱり偉大なんだと感じました。。
じんわり満たされるものがあるんですよね。
そんな触れ合いを、一番自然にできるのが恋人や自分の子供なんだろう。
だから、恋人を作った方がいい。子供はいいもんだよ。と言う人が多いのかな、と考えたりしてました。
ちなみにこのシーン、映画は原作よりだいぶマイルドな表現になってました。
R指定にしないためなのか、事務所的な問題なのか。
原作を知ってたからドキドキしたけど、映画では服も脱ぐことがなかったので、エロが苦手な人は見やすくなってて、違和感なくナチュラルな改変で、いい改変やんってなりました。
補足をするなら、原作での、その行為をしたかしてないかを経ての二人の反応や変化、それでもなお変わらなかった気持ち、軸のようなもの、人との繋がりとは、みたいな、いろんなものが原作のこのシーンには詰まってる気がします。
ということで、映画もよかった、そしてやっぱり映画を見ながら原作の複雑さ、深みを感じたのです。
寺井啓喜
見る前も思ってたけど、見て、役柄やセリフを聞いてより感じたのは稲垣吾郎さんがこの役をしていることがすごく意味を持ってしまったな、ということ。
噂や、知ってる人は知ってる。だったであろうジャニーズ問題が、世間の周知になってしまった今の世の中で、この作品に出た稲垣吾郎の心境や、ファンであればあるほど、見るのも苦しくないかな?とか。
映画のオファーが来た時は、まだ世間はジャニーズ問題も出てなかったんじゃ?と勝手に想像したりして。
見ていて、思い出さずにはいられなかった。
寺井啓喜には、映画の内容じゃない部分にも想いを馳せることが多かったです。
強く思ったのは、寺井のような分からず屋にはなりたくない、世間の一般論、正論を自分は言いたくない。ということ。
優しく受け止めたり、分かち合える人でありたい。わからなくても、解ろうとしたり、わからなくても「そうなのか、そんなこともあるんだ」と否定しない人でありたい。
そう、すごく思ってるのに、実際には寺井側なことが多いんじゃないかな、分からずに自分は寺井と同じことをしてしまってるんだろな、としんどくなった。
寺井もだけど、自分がそんなことを無意識でしてしまってる。自覚がない。自分は正しいし、普通だと思ってる。
気づかない。それがこわい。
いろいろ書けば書くほど自分の浅はかさのボロが出るような感じがして辛い。
寺井の妻、由美の、一番わかってもらいたい人にわかってもらえない辛さ。「どうしてわからないの、どうしてわかろうとしないの」が苦しかった。
他人にただ理解されないだけなのとは次元が違う。
大也と八重子
疎外感を持ったり、生きづらいことなんて誰もが山のように感じているだろう気持ちを、大和は八重子に苛立っていて、その”誰もが持ってるであろう生きづらさ”ではない苦しみと孤独感が、八重子に対しての「わかったようなことを言うな」というセリフに込められていた。このセリフがこびりついた。
八重子のように「気持ちわかるよ」と自分が安易に言っちゃってるなと胸がグッとなった。ウッとなったと言ったほうがいいのか。
前提として、八重子は安易に言ったわけじゃないのは、あのやりとりを見た人ならわかると思う。それでもやっぱり「気持ちわかる」が全然違うことがこちらはわかってるからこそ、いろんな意味で痛い。
仲間だと思い、近づきたい、理解者になりたいと歩み寄った八重子。そして、お前は理解者ではないと拒絶した大地。
でも、ただ拒絶しただけじゃなく、八重子が歩み寄って自己開示したからこそ、八重子の孤独や苦しみに寄り添った言葉をかける大地。自分にも居場所ができそうだということも伝えていて、一瞬だったりちょっとだけかもしれないけど、求めていた繋がりじゃなかったかもしれないけど。八重子が本気でぶつかったからこそ大地の「ありがとう」が聞けたんだなと嬉しくなった。
大也の「誰がどう思うかは自由で、あっちゃいけない感情なんてこの世にない」
全然同じじゃないけど、同じなのかもしれないと気付いたのか?
拒絶した場面だけど、受け入れた場面でもあるんかな。
え、誰かと話したい。
ここの二人の会話、すごく迫力があって圧倒された。
大地の目に惹きつけられた。八重子は八重子でしかなかった。とにかくすごかった。
ラストシーン
映画を見る前から、佳道と夏月のラストがどう描かれるのか、一番気になってました。
作品全体をふわっと覚えてる中、このラストは鮮明に覚えていたから、原作との明確な違いにそうきたか、となった。
というのも、原作と映画、どちらにも夏月と佳道、双方の視点が描かれてはいるんだけど、原作では2人ともの心情と台詞があるところを、佳道の場面の台詞がカットされてて。
映画では夏月側だけの「いなくならないから」というセリフになってました。
あくまでも推測だけど、違うラストというよりかは、あえて夏月側だけを見せている、ということなんだろう。
内容や意味は原作と同じで、映画版も寺井は佳道の想い(言葉)「いなくならないから」を聞いていて、知った上でのラストの寺井の表情だと私は感じた。
だから、映画版は佳道のシーンが映像として流れていないだけという解釈です。
尺の都合か、インパクトの問題か。説明しすぎない余韻を欲してのことかもしれない。
どんな理由かはわからないけれど。
原作で描かれていた、これでもかっていうわかりやすい「お互いに、意思疎通できない状況なのに、同じことを思っている。通じてる。繋がってる」という、片方だけが思ってるんじゃないぞ!感。
読者にガツンと見せてくれてるその感じが私は気持ちがよかった。そんなふたりの通じ合い方に感激し、憧れ、読者として震えたんです。
だから、映画は夏月だけを見せるんだな、と少し残念に感じてしまった。
こんなことを言っちゃってるけど、映画はおもしろかったし、むしろ、この映画が嫌いじゃなくて原作を読んでいない人がいるなら、その人には原作を読んでほしい!!!
心のつながり
とても生きづらい世の中で、生きたくないと思うほど苦かったけど、分かち合える人がいると生きていられる。
独りではないということ。
警察に疑われて理解もしてもらえなくて状況は最悪だけど、心が繋がってる人がいる。
今までのどんなになにもない平和な日常だったとしても、明日生きたいふりをして生きていた日々よりも、ラストのふたりの方が幸せで、みんながこんな風に繋がれたらな、と本気で思った。
感想を書いてみて思ったこと
感想の感想っておかしいけど、書きたくなったから書く。
映画の感想を、覚えている範囲で原作小説と比べながら書いてきました。
だけどね、そもそも、原作を読んだのがいつかも覚えてなくて、しかも読んだわけじゃなく聴く読書をした私は、聞き流しているところがあるだろうし、さらに自分の中で脚色されているであろう記憶。
そんなことを思うと、ここに書いた原作と比べた感想は、だいぶトンチンカンなことを言っているかもしれない。と不安になりまして。
なのでこんな言い訳をここに書いているのです。
映画を見たことで、原作への想いが募ったのは事実で、読みたい欲が高まって図書館で借りようと思ったら予約が200以上ありました。
手元に来るのはまだまだ先のようです。
追記
他の人の感想を読んで、主に寺井夫婦のことで自分の見方の偏りに気付いたので追記。
寺井に対して元々私が抱いていた感情が、嫌だな、という苛立ち。わかりやすいよくいるステレオタイプだから、妻に見放されても当然で、いい気味だ。というような感想でした。
でも違う人の感想を見て、映画を見返すと確かに歪さがありました。
見たいものしか見えていないのは私だった。
例えば他の人の感想で「由美は最初手作りの焼き魚定食を出してたのに、それがレトルトや単品オムライスに変わった。由美の寺井への関心度、心の距離が食事に表現されている」というようなことを言ってる人がいて、そんな変化が!と、私も見ていたはずなのに由美の行動に対しての引っかかりを感じなかったことに、自分の無意識の偏見を感じた。
そして確かに、実際の生活で愛情や気持ちの変化によって、相手への扱いや行動って実際に変わるから、現実でもアリそうすぎる。
私の中で寺井が悪者のようになってて、妻と子供はかわいそうだとなぜか被害者側で思っていた。けど、寺井からしたら真っ当であるはずの自分の意見は無視され進んでいる家族の言動に、不満と理不尽さを感じるだろう。
違う主張に見えて、同じことをお互いやり合って、引かずに戦いをしているのかもしれない。
おまけ〜みんなの声〜
公式サイトに、映画を見た著名人たちのコメントページがあったのでもし他の人のコメントが見たい人はぜひ。
noteを書き終え、正欲についてみんなはどう感じたのかもっと知りたい!と検索してたら出てきた”書店員さんの声”
どちらも、的確な言葉選びで「ほんとそれ。その表現ドンピシャ。思いつきたかった!」と思うような素敵なコメントがいくつもありました。
気になった人は見てみてくださいね。