ひとり京都まで鵜飼見物
水の匂いで酔いしれる
夏の暮れの宇治川沿い
社会人になりたての頃、大人ぶって京都の宇治川まで鵜飼見物に出たことがありました。ひとり旅で、鵜飼をみるためだけの日帰り旅行でしたが、その日みた光景は今でもたまに目蓋によみがえり、郷愁のような、幼心をくすぐられるような気持ちになるのです。
鵜飼の時間にはまだ早い黄昏時に、わたしは宇治川に到着しました。川には数隻のやや古びた小船が停泊していて、並み立つ水面に揺らされ、ギィ、ギィと軋みをあげていました。その様をみるだけで、これから目の当たりにする鵜飼の気配が感じられ、期待と高揚が胸に満ちていきました。
「缶ビールでも買えばよかった」と今振り返ると思うのですが、アルコールよりもこのむせ返るような水の匂いで、わたしはすでに酩酊していたように思えます。生き物が棲む水辺は、水の匂いがより濃厚に漂っていて、それには人の脳を痺れさせる作用がある気がします。
跳ねる鳥と水飛沫
かがり火と濃密な夜
陽が没し、鵜飼の時刻となりました。わたしは十名前後が乗り入れる屋形船(といっても、飲み食いができる空間もない簡素な船)の末席にぽつんと座らされ、わたし以外の人が発する賑わいと、とぷん、とぷんと心地よく聞こえる水音に耳を傾けていました。
やがてわたしたちの船の背後から、かがり火を灯した鵜飼の船がやってきました。ややノイズ混じりのマイクで鵜飼の歴史や鵜の習性、ウナギの名の由来(鵜が呑み込むのに難儀する長さだから、鵜が難儀、ウナギとなったそう)などが語られ、いよいよ鵜飼が始まります。
首に縄がくくりつけられた鵜が数羽、船上から水のなかへと投入されていきます。かがり火に照らされ、水中を魚雷の速度で泳ぐ鵜の鳥影がみえました。風向きの加減もあるのでしょう。わたしはかがり火の熱を思いのほか熱く感じながら、その影を目で追っていました。
鵜が魚を呑んで船上で吐き出すたび、わっと賑やかな声があがります。1羽、また1羽と鵜が水面を跳ね、そのかすかな飛沫がわたしの頬を濡らします。水と火、夜と鳥が調和した光景。わたしはその見物客にとして、その風景のひとつになっていました。
1日に100尾の漁獲量
史料に残る鵜の功績
日本の鵜飼はいつ頃始まったのでしょうか。調べてみると、史実としては『隋書』巻八一、列伝第四六の東夷伝、倭国の条で記載が残っており、少なくとも7世紀初めまでには存在したそうです。その記載によると、1日に100尾もの魚が鵜飼で獲れたそうです。
この記述では、鵜飼が日本のどこでみられたかはわかりませんが、宇治川では少なくとも10世紀には行われていたそうです。古代日本において鵜飼は宮廷直属であり、歴史深い高尚な行事であります。
わたしは今、因果関係が定かではない体調不良が長引いていて、当分こうした旅を楽しめる状態ではなさそうです。生涯を閉じる前に、またこうした雅やかな世界に踏み込むような旅ができるかどうか……。縄をくくられながらも、生き生きと闇を跳ね回り、水中を突き進むあの鵜の姿を思い出しながら、今の自分を励ましています。
参考文献
・可児弘明(著)『鵜飼 よみがえる民俗と伝承』中公新書 1999年
・「かがり火揺れる川面の躍動 宇治川の鵜飼始まる 京都」毎日新聞2023年7月21日