デジマプロジェクトの破壊的困難さ。
前稿で書こうと思っていたことを書き切れずに終わってしまったので、本稿はその続きである。
デジマプロジェクトの困難さの本質は、スタート段階における手段と目的の混同であり、何を為したいかの曖昧さにあるということはすでに書いた。これについてはデジマ業界側の罪も大きい。テクノロジーを使えば全てが解決するかのような喧伝を行い、せっせとツールを売りつけようとする。道具は目的を達成するために存在し、それ以外では機能しない。道具の収集家とかで毎日道具を愛でていれば満足というなら構わないけれど。
何にしてもプロジェクトがスタートしたとする。大抵のデジマプロジェクトは欲張りなので、営業部と宣伝部と商品開発部とマーケ部と情報システム部あたりが絡んでくる。さらに各部門お抱えの業者が付いてくる。が、前出の通り、プロジェクトに大義がないので、それぞれが自部門の正義を唱える。それぞれ正しい。間違っていない。問題は同じ場所を目指していないことにある。正確に言うと、同じ場所を目指していると思い込み、お互いの目標の座標を確認し合ってない(もっと言えば見て見ない振りをしているような気もする)。ゴールが異なれば、アプローチの方法は変わってくる。つまり解決方法が異なるということ。当然このままではゴールにたどり着かないので、そこをひとつひとつ紐解いていく地道な作業が必要になる。まあ、キチンと話をして、課題を整理していけば特別に難しい作業ではない。
ただここで問題となるのは、受託先としてこのプロジェクトに関わった場合、その対価は大抵、何かしらの作りモノに対して支払われることになっていることである。プロジェクトマネジメント費用についても、あくまでも作りモノを無事に作り上げるまでの管理工数として算出されている。よく言われる全体工数の20%程度というのはそういうことである。
が、そういう話ではないところに多大なる工数を割くことが昨今のデジマプロジェクトでは非常に多くなっている。簡単に言えば「調整」である。調整というとなんだか何かのメイン作業の付随物のような軽さがあるが、実はこの調整こそがプロジェクトを破壊する威力を持った工程となる。調整なんだからやって当然、できて当たり前に思われるが、目的が異なる集団をまとめ上げ、正しき道を指し示し、全員が無事にゴールするまでリードするのは、並大抵のことではない。指導者である。これは果たしてマーケティング業務なのだろうか。プロジェクトマネジメントなのだろうか。最早まったく別のカテゴリのスキルが要求されるプロセスなのではないかと思う。このプロセスに営業担当や、UXデザイナーや、プロジェクトマネージャーたちが取り組み、手に負えずに轟沈していくことが絶えない。
このプロセスについて専門の人間を立て、正当な対価をいただき、まとめ上げていくのがデジマプロジェクトの成功の秘訣であり、そして未だにどの会社もなかなか会得できずにいる。上手く行ったとすれば、発注側か、受託側のどちらかにたまたまの偶然にこのスキルを持ち合わせた人間がいただけであり、属人性が高く、再現性は非常に低い。
強いて正攻法を上げるとすれば、スタート段階で目指すべき道を絞り込み、明確にすることである。なんてことはなくふつうの話なのだが、どうも初期段階でテクノロジーなどの手段が先行する場合、そこに気をとられ、この基本が疎かになることが多いように見受けられる。テクノロジーという魔法の杖に惑わされず、どんな未来を作りたいのか?という本質をまず話し合ってから物事を進めるのが最良の選択だと思う。そろそろ魔法の杖に話を着地させるのがこじつけ気味になってきたので違う何かを考えたい。
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