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本を読めなかった僕が愛書家になった理由

現在、僕は本を読むのが好きで、毎日欠かさず本を読む。だが、昔から読書の習慣があったわけではなく、むしろ本は読み切れないから敬遠している節があった。

そんな僕が読書を習慣づけられたのは、自分が心地よさを感じる読書法を見つけられたからだ。

ひとことでいうと、本を本として読み切ることを目的とするのではなく、短い言葉との出会いを楽しむようになったのだ。


◇◇◇


僕は昔からとにかく飽きっぽい。同じことに長時間集中することができないため、一日のスケジュールも飽きがこないように細かく作業内容を変更している。

これは読書に関しても同様で、よほど没頭している本でなければ、30分ほどで飽きて他の本を読みたくなってしまう。そのため、10冊くらいの本を同時並行で少しづつ読み進める、というのもよくあることだ。

こんな背景もあり、昔は本を一貫して読み切れないことに強いコンプレックスを抱いていた。


そんな僕が本を読めるようになったのは、「本は全部読まなくていい」という意識を持った時からだった。この言葉自体は割とよく言われているアドバイスだが、僕にとっては文面以上の意味を持つ言葉であった。

この言葉のおかげで、本を「本」という大きな存在ではなく、「言葉」という小さな単位の集合として捉えられるようになった。短い言葉がたくさん集まって本になる。そう考えると、本の読み方が変わってきた。「読み進める」という感覚から、「言葉を吟味する」という感覚に変化したのだ。

かつての僕にとっては、言葉は本を読み切るために消化するためのものだった。しかし「読み切る」という目標を忘れることで、言葉に対してじっくり、まっすぐに向かい合えるようになった。

するとどうだろう。これまでは浮かびもしなかったさまざまな思考が、言葉を通じて浮かんでくるようになったのだ。読書をしていて心に響いたワンフレーズから、このnoteで記しているような思考が浮かんでくることが非常に増えた。

それまでの僕は、本を読み切る・理解する・まとめることに必死で、目の前に存在する言葉と十分に向きあえていなかったのかもしれない。


それからというもの、本を開く頻度は大幅に増えた。「心に響く言葉を探しに行く」。それくらいの感覚で本に手を伸ばすようになったのだ。ちなみに、本の内容を理解しよう、体系的にまとめようと思うといまだに読書への抵抗を感じてしまう。

きっと僕には、言葉をひとつひとつ吟味してじっくりと読み進める読書が合っているのだと思う。自分の心に響いた言葉と真摯に向き合って思索を深める。そんな読書の楽しみ方を極めていきたい、と考えるようになった。

読書は人生に深みをもたらす、何ものにも代えがたい体験だ。だからこそ、より多くの方に本を開いて言葉に触れていただきたい。内容を記憶しなくてもいい、全部読み切らなくてもいい。自分が心地よいと感じる接し方で、読書の喜びを知っていただければとても嬉しく思う。

たった一文との出会いが、人生を変えることだってあるのだから。

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