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小山田圭吾さんがオリンピック開会音楽を解任されたこと

≪要約≫☆彡

ポピュラーミュージック界のサラブレッド、小山田圭吾と小沢健二のユニット、フリッパーズギターは、血統やヴィジュアルが良すぎて自分には嫉妬の対象だった。

しかし、小山田が解散後リリースしたアルバム「ポイント」は素晴らしい傑作であり、評価を改めてファンに

今回のオリンピックで問題になった20年前のイジメ武勇伝はかなり大げさに語っているものだと思う。出自の良さを相殺するため、わざと露悪的に振舞った様子がある。

その上当時の時代思潮は、ソ連崩壊後10年を経て新自由主義的な価値観が浸透していった頃。レッセフェール(自由放任)が覆っていた時代で、仕方ない部分も多かった。


本文ここから

東京オリンピック開会式のオープニングを担当するはずだったコーネリアスこと小山田圭吾氏が、過去のいじめ問題を取り上げられて担当の辞任に追い込まれた、というニュースを聞きました。

個人的には、今回のオリンピックで最も痛ましい事件です。小山田さんは自分より一世代ほど上で、活動はいつも気になっていました。

嫉妬の対象フリッパーズ・ギター

もともとフリッパーズ・ギターはあまり好きではなかったんです。(ギターポップ全般それほど好みじゃないので)

彼らの業績として評価するのは、「ヘッド博士の世界塔」で、スライ&ザ・ファミリーストーンをサンプリングして日本のリスナーに紹介したことくらい?(単にファンク・フリークだから笑)

でも解散後小沢健二のソロアルバム「LIFE」は結構好きでした。ジャケットワークもスライのパクリだったし、スチャダラパーとコラボしたりして、R&Bに寄ってたので入りやすかった。そうそう「今夜はブギーバック」。良い曲ですよね。


小山田君の方は、資生堂の整髪料UNOのCMに出たりして、2枚目(顔の方)なのを活かしたヴィジュアル先行のイメージがあった。妬み半分で嫌いでしたね。UNO買いましたけど笑

ソロもファンタズマとか、大した曲じゃないのにオレンジ色のLP出してみたり、( ´_ゝ`)フーン、オサレですねってかなり冷めた目で見てました。サニーデイ・サービスの「若者たち」のほうが良い曲だなって思ってました。なんか四畳半フォークぽくて親近感湧いたし。

若者たち

⇧サニーデイのヤバいジャケw

それからしばらく経って、小沢健二がフランス人の女と結婚したという話を聴きました。微かに感じていたブサメンとしての連帯感はそこで儚くも消えました。ブルータスお前もか。

今でいえば、小泉進次郎みたいな上級国民への嫌悪ですよ。俺もフランス人の彼女欲しいってことですけど。(サニーデイの曽我部さんのブサメン路線のブレなさがすごい・・・)

超名盤「POINT」のリリース

その後、小山田圭吾がマタドールからアルバム出すらしいよ、という話がありました。マタドールはアメリカの名門インディレーベル。インディロック界隈ではカリスマ的人気のあったYo La Tengoなんかがリリースされてました。確かカナダのフリーマガジン「VICE」読んでたら、小山田さんのCDがレビューされてたんですよね。


へー、と思って発売された「Point」というアルバムを聴くと、当時流行っていた音響系やテクノから刺激されたと思われる音作りで、切れの良いガチでカッティング・エッジなロックでした。その時に「おっ!!どうした小山田!!めちゃカッコいいじゃん」と180度評価を改めました。

当時音響系ミュージシャンの嶺川貴子さんと懇意だったらしく、よく聴いてみれば嶺川貴子女史の協力がかなりあったんだろうな、と伺わせました。
それまで自分としては、小山田さんより嶺川さんの方が才能があると思ってました。(今もそうかも) 

嶺川さんが大きなバックアップをしていたにせよ、「Point」に関しては小山田さんのアルバムなので、やっぱりその功績は小山田さんのものだと思っています。トロフィーワイフ抱えて悦に入ってるオザケンより、二人協力して名作を作ろうとするカップルの方が応援したくなるもんです。

嶺川さんがカヒミ・カリィとデュオやっててカヒミカリィがオザケンと付き合ってた、とかいうビバリーヒルズ青春白書みたいなゴシップを知らなかったのも良かった。ある意味先入観なく聴けました。

その時から、小山田圭吾さんの方を小沢健二さんより才能あるかもって思うようになり。嶺川さんと入籍したのもお似合いだなと。
嶺川さん才能あって綺麗で、少し嫉妬しますけど、これは我慢できる笑

疑わしいイジメ武勇伝

今回、オリンピックでクイックジャパンのイジメ武勇伝がひどく叩かれてますけど、実際はそんなに酷いことやってないんじゃないかなって思うんですよね。高校の頃からバンドやってて忙しいですから、この人たち。そんな暇ないと思うんですよ。

ただ東京の郊外から出てきて、片や東大、片やイケメン。有名指揮者と有名ミュージシャンの息子という業界におけるサラブレッド中のサラブレッド。
ピカピカ過ぎて、庶民にはちょっと汚さないと近寄りにくいわけですよ。

変な比喩ですが、プラモデルでウェザリング(風化)って作業があるんですね。リアル感を演出するのに、新品のプラモデルをわざと汚すんです。イジメ武勇伝はこれだったんじやないかな。

というのは、和光高校って近所の小田急沿線にありますけど、金持ちの子供が通う自由な良い学校なんです。

そんな酷いイジメがあったら、すぐに教員会議やPTAで絶対取り上げられます。公立の底辺校みたいなところじゃないんですよ。

ピカピカのエリートがロックやっても、みんな共感できないじゃないですか。セックス、ドラッグ、ロケンロールがプレスリー以来の伝統です。一方に矢沢永吉とか長渕剛とかがいるわけですし。

多少はワルぶらないと、ギターポップだのソフトロックだのは、ヲタク音楽、オカマ音楽と笑われかねない。

ライブハウスやスタジオ行けばそういう荒くれたバンドとリハとかで行き会ったりするでしょ。全身タトゥーにドレッドで欠けてる歯に金歯入れてる人とかいるじゃないですか。舐められたらいけないと思ったんですよ、きっと。

かといって、小山田さんが今更「あれ相当盛ってました」なんて言ったら、「醜い言い逃れすんなよ!!」ともっと叩かれるのは明らかで。もう変な反論せず黙ってるしかないと。

20年前というと、ソ連が崩壊して10年が経つ頃です。その頃は、新自由主義的な資本主義マンセーな価値観が若者にも浸透している頃です。弱者との連帯や共感みたいなものって、あまり流行らなかったんですよね。自分もそうでしたから。

ソ連解体、新自由主義という時代思潮


社会学者の宮台真司氏がラッパーのダースレイダーなんかと話して、番組呼びたいと言っているみたいです。この提案自体には大賛成、マイマン宮台と久々に思いました。

時代感を感じる例として、宮台さんの来歴も参考になります。宮台さんはその頃は武勇伝すごかったです。

当初ナンパの天才としてメディアに出てきました。「100人切りなんてとっくの昔にやったぜ俺は」なんて話を明け透けに全国ネットで語ってました。この大学教授何なの?ってすごい注目を当時集めてました。

宮台さんの本はどれもめちゃくちゃ面白くて、自分の卒論で一番参考にしたのは彼の本です。
ある意味世間に社会学を誤解させた人ですし、同時にまた社会学って左翼だけの学問じゃないんだよ、という刻印を日本人に強烈に植え付けた人でもあります。

今ワイドショーのコメンテーターやってる社会学者の古市憲寿氏のスケールを20倍にしたくらいの人です。古市さん出てきたとき「ミニミニ宮台か」と思いましたもん。

髪も染めてて、すっごいチャラかった。橋下元大阪府知事がテレビ出てきた当初のノリ。そういえばハッシーの決まり文句覚えてますか?「文句言うなら建設的な対案出してくれよ」。

これ、社会主義がリアルな時代は、「だから社会主義が対案だろコラァ」と答えれば済んだんです。ハッシーのこんな陳腐な決り文句さえ、ソ連がコケて誰も批判できなくなっちゃった。

当時ハッシーや宮台さん、スーツ着ないでいつもカジュアルなホリエモンといった人達は、一様に新自由主義を所与の前提として振る舞っていたんですよね。

小山田さんの件に戻れば、自分勝手にやることがむしろ社会のアップデートに寄与するんだ、みたいな雰囲気をみんな共有してました。そのことを今あげつらって、音楽家人生を奈落の底に落とすのはちょっと不憫でなりません。

いまの小山田さんは、YMOに並ぶ才能だと思いますし、素行も落ち着いていて、五輪のオープニングの人選としてはベストだったと思います。

結び

率直にいってオリンピック自体は、私はやってもやらなくてもどちらでもいい派です。(家にテレビがないので開会式も見てませんし。)

でも小山田さんの境遇はちょっと気の毒すぎです。世界中に人道上問題のあるミュージシャンという壮大なネガティブキャンペーンを張られてしまいました。

小山田さんは、オリンピックだからって自分から売り込みに行くようなタイプでもないと思うんですよね。世界的にも名の通ったクールジャパンを象徴する名ミュージシャンだからってことで、組織委員会側から話を持ち掛けられたんじゃないかなと思います。

実力によって選ばれて、どっちかというと日本のために一肌脱いでやるか、って気持ちがあったんじゃないかな。だからなおさら。(想像ですけどね)

まして20年以上前のことで謝罪文一筆書かされて、しかもそれを晒されて。それこそ集団リンチの様相でした。内容も非常に気持ちの入った謝罪文だったと思います。

おじさんがよく「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、まさかだ」とかいいますが、ちょっとこのMassacre(大虐殺)はあり得ないなと思いました。

続いた小林賢太郎さんが世間から潔い、と評価されたこともすごく違和感ありました。大した反省の辞や反論もなくあっさり降板しましたけど、単に小山田の件の顛末を見て、これは議論してもムダと悟っただけじゃないですか。

裁判として見た場合、①いじめの話を大げさにしていたとしたら、罪がそもそも軽い、②当時はそれをみんな許容、黙認していた、③さらに反省もしていて、既に相応の社会的制裁も受けている。

普通これって不起訴か執行猶予でしょう。メディアや大衆、オリンピック反対派の指弾によって、正式に反論する場もなく、マスメディアという第四の権力により私刑が行われたように見える。

ベルリンオリンピックの映像を撮ったレニ・リーフェンシュタールは、ナチス協力者の烙印を押され、戦後長らく黙殺されました。そういう目に、小山田さんが遭わないことを心より祈ります。御本人も「犬は吠えるがキャラバンは進む」の気持ちでおられることを願います。

同時に障害者(自分も3級の手帳あります)の方が、差別やいじめの標的にされない社会を作っていかなければいけないと思います。

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毛針
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