とは。
今日は今までにないような記事。
こんばんは。木下です。
今日は自分のことをもっと知ってもらおうと思い、どんな人生を歩んできて、どんな景色を見てきたのかを記していきたいと思います。
生まれは九州、長崎。
小さい頃から泣き虫で、すぐふてくされるような子だったとか。
でも小さい時からとにかく明るい性格だったみたいで、とにかく目立ちたがり屋。
そんな性格だったので
小中高と何かと上に立たせてもらうことがしばしば。何かといい役職に付かせていただくことも多く、本当に学生の頃は沢山の貴重な経験をさせてもらいました。
でも自分の人生でかなり悲しいといえば、
友達が少ないこと。かなり悲しい。
多い少ないで幸せの尺度を測ってるわけではないのですが、多かったらもっと色んな人と出会えて、未だに出会えていないような性格の人と出会えたのかなと。
まぁもうないものねだりですね。笑
小中高と腹割って話せる友達はごくわずかでした。
そんな自分の大きなターニングポイントになったのは専門学校に入学してから。
高校までは家系的に女性が多い家系というのもあって友達も女友達ばかりでした。
がしかし、専門学校に入って初めて心の底から親友と呼べる男の友達ができました。
その親友と関わるようになってからというもの、周りにはすごい熱い人間たちが集うようになりました。
元々顔もカッコよくなければ性格も良くない。
そんなことを常々思いながら生活していた私は顔がカッコいいいわゆるイケメンと呼ばれるような人たちとしゃべっているだけで劣等感を感じていたので(おそらくこの考えのせいで男友達が少なかった)、ずっとイケメンたちを避けてました。
でもその親友は顔がどうとか関係なく、
自分といることにすごい楽しさを見出してくれている気がして、自分のあの時の劣等感なんか感じさせる間も無く、自分はその親友に吸い付くかのように絡んでいました。
それからというもの目の前で起きていること1つ1つがすごい楽しくて仕方なかったです。
今では地元の友達に「長崎を捨てた」と良く言われます。笑
まぁ否定はできないかもしれません。
今長崎に帰っても「飲みいこう!」「遊ぼう!」なんて言える友達まぁいませんし笑
そうなってくると長崎に帰る意味が私としてはないんです。悲しいことに。笑
家族に会いに行くくらいですかね。
何歳になろうといつの時代にも出会いと別れは付き物で、今その瞬間に出会った人が自分の人生を変えるキーパーソンかもしれない。
そんなワクワクを考えながら毎日を生きていると楽しいですよね。(決して他力本願とかではないです。)
また自分は小学校の時、祖父の影響でソフトボールを始めました。
それから中学校では軟式野球、高校では硬式野球、専門学校で軟式野球。
計13年ほど野球と携わりました。
もちろんプロ野球選手を目指した時もありました。
怪我も多くて諦めました。
最初は祖父に対する罪悪感が強かったです。
でも考えて、祖父の為に俺の人生はあるんじゃない。そう思い、また別の夢を探し始めました。
今思えばこうしてセラピストをしているのも
祖父が野球に出会わせてくれたからだと
本当に頭が上がらないくらい感謝してます。
祖父の為に生きているわけではないし、自分の人生自分の好きなようにやる為に生きています。でも祖父の存在があったから今の自分があると考えたら、もう幸せだなあああって。笑
このままじゃまとまらないので
中途半端ですがこれで終わります。
この記事を要約すると、
木下恒哉は
・顔も性格もそうでもない
・野球してた
・祖父大好き
・とにかく前向き
以上です。笑
こんなくだらない記事見てくださってありがとうございました。
今日はもう一個記事を出そうかなと思ってます。