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TSUTAYAの延滞料で大学生活を清算すると

こんにちは、こんばんは。knot.です。大学何年生なのか、伏せておこうと思っていましたが、今までの自分の投稿を振り返ると、もう分かっちゃうじゃん。でも、あえてはっきりは言いません。学年や年齢に縛られるのはいい意味で高校生までという気がするので。今日は私の決意表明としましょう。


思い描いていた大学生活

大学生は暇だから遊べる。と聞いていたのに、授業で忙しかった1・2年生。遊ぶための金稼ぎのはずが、金稼ぎに奔走しすぎて貯金しかできなかったアルバイト、2か月ある夏休みに行われた実習、卒論も就活も始まった3年生。このままだと、遊べないまま、やりたかったことをできないまま就職してしまう。思い描いていた大学生活の通り過ごしていれば、私は今頃世界遺産検定を取っていたし、韓国語も英語も話せるようになっていた。週一で本を読む習慣もついていたし、髪も肌もいつも綺麗で、定期的に都会にショッピングに行きカフェを巡り、やたらと都会の土地勘に優れるようになっていた。地下鉄なんて余裕で乗りこなせるようになっていた。でも現実、どれも中途半端です。それもすべてはやる気の問題だったのではないかと思い立ったのはつい最近。いろいろな生き方があると知ってから、いろいろな可能性をつぶす原因である諦めが私には多かったと反省しています。

またタラレバをしてみる

進路についてブレブレな私ですが、先日、母との会話でこんなことを話しました。あのときあれをしていたら、という話を母にしてみたんですね。就職をしたらできないことをもっと早くやっておくべきだったとか、就職に対して気が進まないとか。働いてみたい仕事だったはずで、働いてみたいと思える場所も見つかったのに。こんなの、順調以外の何物でもないのに、なんで前向きな気持ちになれないのか。そんな話をしていくうちに、私はこう言っていました。
「新卒一斉採用なんてなければいいのに。」
と。すると母は続けました。
「本来は、フリーランスや派遣社員の方が待遇が良くなければならないはず。その人たちが働きやすくなること、そしてお給料がきちんともらえるようにならなければならない。」と。
一見、新卒一斉採用とフリーランスの関係性があまり分からないかもしれませんが、要は「その時やりたいことをやりやすい社会」であれば、新卒でなくとも就活はしやすく、フリーランスでも社会的な信用は得やすくなる、ということなんですよね。その時やりたいことができないと諦めることが割と当たり前な世の中なのかなと思ったのです。

生きたいように生きる挑戦

でも、やりたいことをやりたいと思ったときにできるかどうかは、結局自分次第なのかもしれないとも思う。何事も、やってみなければわからない。やってみたかったことを諦めるのには早すぎる、若すぎる。まだ何も始めていないのに。始まっていないのに。なので、今の考えで直近の未来だけ確定しておく、という方法を選んでみることにしました。それも今この瞬間において。数時間後には違うことを仕事にしたいと思うかもしれないし、来週には海外留学をしたくなっているかもしれない。かと思えば単位不足で留年することになるかもしれないし、資格試験に落ちるかもしれない。人の気持ちはひょんなことで案外変わりやすい。そして予測不能なことが起きたりする。なので、今の考えで直近の未来だけ確定しておくしか方法はない。今と今後を考える中で、大学生活においては理想通りに過ごせるチャンスは残り僅かなので、これまでやりたかったことに対するアプローチを考えてみることにしました。

TSUTAYAに人生経験を借りていたとしたら

大学生になり、私は比較的遊んできませんでした。東京は進学しなくたって行きたいときに行けばいい、パスポートを更新して海外へ行こう、あのアーティストに会いに行こう、語学を独学で身に付けよう、本を読もう。そんなことを思い続け、すべて引き延ばしてきた。全てに延滞料をかけたらいったいいくらになるのだろうか。TSUTAYAの場合、延滞料は1枚につき一日155円だそうです。TSUTAYAだと仮定すれば、
単価(それらを予定通り進めていた場合の料金)+日数×155円
これがやりたかったこと全部、つまりN通りあるというわけですね。

なかなか恐ろしい金額です。
でも仕方がない。やらなかったんだから。やらない選択をしてきた理由がそこにはある。自信がなかった、時間がなかった、怠けていた、コーヒーが飲みたかった。なんでもいいけどそういう些細な理由と行動がこの延滞料を作り上げてきた。延滞料を支払ったとて、その時間は帰ってこないし経験もできない。では諦めるのか?いいえ。
今やる。今からやる。それなら延滞料はやらないよりもお得に済むし、自信がなかろうと時間がなかろうと怠けたかろうとコーヒーが飲みたかろうと、やる気だけはある今がそのタイミングだと思う

一冊の本が教えてくれた

何の本を読んだのか、ということではなく、本を読んだという行動が、私にとって大きな発見を与えてくれた。その本は、いつか読もうと買い、3年放置しておいた本。パッケージは新品同様。そのとき読んでおけば1650円。延滞料を計算すれば、1,650+3×365×155=171,375円
自分の人生の経験をTSUTAYAから借りたとしたら171,375円払うことになっていたのですね。その本を読みました。面白かった。その本を読むという些細な行動が私にこう教えてくれました。
「思い描くだけでは何も見えない、何も生まれない。できることから動き出す。そして、動くのは自分。」
読もうと思っていた本を読んだ=やりたかったことをやってみた
何冊もある読みたかった本のうち一冊を読んでみただけで、他のことにも挑戦しようと思えるようになったんです。

青春のタイミングは人それぞれ

大学時代に遊んでおけ、海外に行っておきなさい、アルバイトをしなさい、就活を始めなさい。全体として、理論上のナイスタイミングをアドバイスしてくれる人はたくさんいますが、それでもできないことはできない。できなかったことはできなかった。それはすべて、行動に移す自信がなかったり、勇気がなかったり、そして、やる気がなかった。だから私は遊べなかったし、多くの延滞料を支払う羽目になったけれど、その延滞料を支払うよりも有効な解決策は、これ以上延滞しないこと、今やる気になったなら今やること。やってる人はやっているし、動いている人は動いている。かと思えば立ち止まる人だっている。すなわち、タイミングは人それぞれなのだということ。これまで読んでこなかった山積みの本も、意思だけご立派な語学学習も、今年は放っておかない。会いたいアーティストには会いに行くし、食わず嫌いで聴かなかった音楽も、見なかったドラマも見る。本当はどうなの?を自分に問いかけ素直に動く。これまでの私の人生から導き出した方程式では「やらないほうがいい。自分には無理。」と結論付けることですら、私はやってみようと思う。そんな方程式ごと疑って壊すくらいの勢いで動いてみるのも悪くない。動かないと見えてこない、何もわからない。憧れていたことも、今諦めることではなく、今やってみることなのだと、一冊の本を読んだという達成感が教えてくれた。やる気になったタイミングが今だっただけ。やる気が出るまで待つのは違うという、やる気は出すものだというけれど、たぶん作り出せるやる気は、そもそもやる気があったのだと思う。結局やる気が出るまで待った私は、周りに比べて遅いスタートだけれど、思うように動き、遊んでみようと思います。なので、就職しても転職しそうだし、働きながら専門学校に通うかもしれないし、退職して留学するかもしれない、かと思えば思ったより長く一か所で働いているのかもしれない。そのどれもが、自分を誇れる選択であればと願う


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