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藁や木の家をつくってもいいじゃないか?

今日は何について書こうかな。
いろいろ書きたいことはあるのだけど,うまくまとまらない。
こういうとき,一番いいのはとにかくなんでも思いついたことを書いてしまうこと。
ついつい力を入れてクオリティを求めてしまうけど,多少できが悪くてもとにかくアウトプットしてしまう。
そうしているうちに,だんだんと書けるようになるんだね。

それはよくわかっている。頭では。
なんだけど,なかなか書けないよねぇ。現実には。

私は硬い文章を書くことを生業のひとつにしている。
何かを主張するために,データや根拠を確かめ,論理的な文章をつくる。それが読み手に最も誤解なく伝わるように,構成を練る。
そして,出来上がった文章を何度も読み直し,不備がないか点検し,修正する。
そうやって,レンガを敷き詰めて強固な家をつくる。

なぜ,こんなにも緻密で面倒なことをやらないといけないかといえば,攻撃に耐えられる強度が必要だから。
三匹の子豚よろしく,狼があの手この手で家を吹き飛ばそうとするので,それに耐えられるレンガの家をつくらないといけないんだね。
藁や木の家では心もとない。


なんだけど。
それを生業のひとつにしていると,もっと気軽に思ったことや考えていることを書ける場がほしくなるんだね。
それがこのnoteという場所で。
頻度は低いままなんだけど。
でも,書く場所があるというのはいいことだね。
日々のモヤモヤも,形を求めて出ていくところがあるのとないのとでは,整形されるまでのスピードが違う気がする。

日記というかノートというか,まぁ実際の媒体はWorkflowyというクラウドのアウトライナーなんだけど,そこにこんな感じで思ったことをバーっと書く習慣がある。
これはとても大切な習慣で,かれこれ8年くらい続いている習慣だ。
単に吐き出すこと自体がセルフケアになるし,書くことで問題が整理されてくるのも助かるんだけど,一番いいことは,自分の癖や傾向がみえてくることなんだね。
この言い方に自分は引っかかるんだなとか,いつもこういう失敗をしているなとか。

その効果も意味も感じている。
それは極私的なことがらだから,公表するようなものではないと思っていた。単純に恥ずかしいし。
でも,やっぱり最近思うのは,少しずつでも誰かの目に触れる可能性のあるところに出していこうってことなんだ。

普段書く硬い文章と,普段書く極私的なことがらの,その間に位置するようなnote。
今日は,あんまり推敲もしていないし,構成も練らずに,いつもの感じでばーっと書いてみた。
次回もこういうやり方をするかは,わからない。
でも,けっこういいかもしれない。

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