一説によるとオドラデクはスラヴ語だそうだ。ことばのかたちが証拠だという。(中略)屋根裏にいたかと思うと階段にいる。廊下にいたかと思うと玄関にいる。おりおり何ヶ月も姿をみせない。(中略)この先、いったい、どうなることやら。かいのないことながら、ついつい思案にふけるのだ。あやつは、はたして、死ぬことができるのだろうか?死ぬものはみな、生きているあいだに目的をもち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデクはそうではない。いつの日か私の孫子の代に、糸くずをひきずりながら階段を転げたりしているのではなかろうか?誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする。