電話が壊れた。

電話が壊れた。

祖父が営んでいた『ひしや履物店』で使っていた電話が壊れた。

祖父は山口師範学校に在学中に、学徒出陣の憂き目に遭い、中国、ラバウルへと砲兵として戦地に送られた。

終戦後、希望では音楽の教師になりたかったのだが、ポツダム宣言のどさくさで階級を上げられて、将校になって、終戦後は教師になれなかったと言っていた。(ポツダム中尉の公職追放だって)

同じ師範学校の同窓生が、教頭や校長になっていく日々に、祖父は毎日毎日、下駄の鼻緒を台に括り続けた。

防府に届いた下駄の材料を、浅草の問屋から譲り受けたメジリでキツク縛って、鼻緒の緩まない下駄を作り続けた。

中国戦線やラバウルの地獄で生き延びたじいさんは、毎日毎日下駄を作っていた。

その『ひしや履物店』の電話が壊れた。

掛かってくるけど、掛けられない。

掛けないから、いいんだけどね。

機械の壊れ方も、年寄の認知症みたいなもんかね。

50年くらい、一緒に暮らしたこの電話を粗大ごみにポイッとはいかんよな。

じいちゃんに育てられて、良かった。

そんな俺も、じいちゃんになった。

じんちゃんが、じんちゃんになったのと同じ歳に。

ありがとね。

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