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鉄道とデザイン -日本の駅づくりを変えたい-
はじめに
近年、あらゆるフィールドでデザインという言葉を耳にする機会が増えたように思う。
書店へ行けば「〇〇をデザインする」「〇〇とデザイン」というようなタイトルの本がたくさん並んでいるし、「デザイン家電」や「デザイン住宅」などといった言葉も生まれている。
その一方で、一般的に受け取られている「デザイン」のイメージにはかなり誤解があると感じている。
デザインと言うと、飾りのようなもの、そして「特別なもの」「かっこいいもの」「おしゃれなもの」というイメージを抱きがちだが、そうではない。
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを経なければならない。
デザイナーの佐藤卓氏は、著書「塑する思考」の中で
「デザインの本質は、物や事の価値をカッコよく飾る付加価値ではなく、あらゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへとつなぐ「水のようなもの」」「デザインは、付加価値をつけるのでなく、 価値を伝えるということ」と表現している。
デザインとは、あらゆるモノやコトの価値を表現する「言語」であり、そのことを通して誰かにポジティブな心の変化をもたらすものである。
デザインは単なる「意匠」ではなく、社会の変化を据えた、新しい価値を創造していくための「設計」である。
この前提のもと、この記事を読んでいただきたい。
鉄道とデザイン
デザインについて、上記のような誤認が生まれている側面もあるが
あらゆる業界においてその重要性が認識されつつあるのも事実だろう。
メーカーでデザインの部署が創設されたり、行政においてもデザイン・クリエイティブ枠の人材が募集されているのを聞いたことがある。
デザインを組織全体にとって重要な戦略と位置づけ、専門的にそれを取り扱う部署とプロフェッショナルな人材の必要性を感じている事業体が増えている。
しかし鉄道業界は未だデザインという視点が重視されていない。
わたしは鉄道にこそデザインが必要だと強く主張したい。
鉄道にこそ専門的にデザインをする部署とデザイン人材が必要だ。
そのように考える理由を3つの視点で述べる。
ブランディングのため
※これはかなり社内説明向けの視点であることを先に注釈しておこう。。。
メーカーなどがデザインに力を入れる理由は、会社のブランド(同業他社との差異)を表現するためだろう。
鉄道においては「どこに線路を敷いているか」が直接的に他社との差異になるため、これまでブランディングなど必要なかった。
しかし近年の鉄道会社は鉄道事業だけをしているわけではない。不動産事業、都市開発事業、流通業、レジャー業など多様な領域に踏み出し、鉄道会社ではなく「総合生活企業」であることを大手の会社は強調している。それによって住む場所として「選ばれる」沿線となり、沿線人口を増やすことが目的だ。また人口減少を見据え、新規事業の開拓も並行して進めている。
こういった事業領域の変化を踏まえると、選ばれる企業となるには同業他社との差異を示したブランディングが必要である。
ブランディングはしばしばMCCという3階層の思考フレームで語られる。
上から順に、Mはマネジメント、Cはコンテンツ、Cはコミュニケーションである。
Mマネジメントは経営戦略であり、
Cコンテンツはプロダクトやサービス、
Cコミュニケーションはロゴやパッケージ、WEB、広告などである。
これを鉄道会社に当てはめると
Mマネジメントは経営戦略、
Cコンテンツは各事業部の取り組み(サービス)、
Cコミュニケーションは車両、駅舎、サイン、駅務機器、ロゴ、WEB、広告などである。
このMCCに一貫性を持たせることがブランディングなのだ。
また、ブランディングにおいては「差異化」と「伝播力」という2つの側面が重要で、Mマネジメントのデザインが「差異化」に大きく影響するが、「伝播力」にはCコミュニケーションのデザインが大きく影響する。
そして鉄道会社においては、いくら事業領域を広げたとはいえ、人々からの認識はやはり鉄道事業の色が強い。そのため鉄道事業におけるコミュニケーションのデザインが、人々のブランド認知に直結する。
例えば、チャレンジングさや先進性をMマネジメントの経営戦略で謳い、それに沿った事業サービスをCコンテンツで展開していても、Cコミニュケーションで電車の車両がいつまでも古さが際立つデザインだと、「古い会社」と認知されてしまう。
つまり、車両や駅舎、サイン、駅務機器といった鉄道事業における諸要素のデザインが、会社の他事業を含むトータルでのマネジメントやコンテンツときちんと整合性がとれたものであることが、ブランディングにおいて非常に重要なのである。
ところが実際は車両や駅、サイン、駅務機器は運輸や建築、電気といった各部署の各担当者がバラバラに計画・発注しており、請負のコンサルや設計会社から上がってきたデザインがきちんと全社的視点で見られたり議論されることはほとんどないというのが実態ではないだろうか。
空間には明るさがあり、物品には形状や大きさ、色彩、テクスチャーがある。そのひとつひとつの微細な違いが見る人に異なる感覚的・感情的反応を生む。さらにその組み合わせで無限の表現の幅が生まれる。
そこを繊細に感じ取る感性が備わっていることと、感じ取った内容をイメージに変換する能力を技術として身につけていることは、デザイナーの職能である。
そのデザインは本当にその会社らしさを表現しているのかは、審美眼で議論される必要があるように思う。
駅のトータルデザインとパブリックデザインのため
※こちらの視点が本題である。
わたしは公共のデザインがしたい。商業的なものではなく、パブリックなものがしたい。
先に述べたとおり、デザインはあらゆるモノやコトの価値を表現するものであり、それを通して誰かにポジティブな心の変化をもたらすものである。
それをマーケティングの発想ではなく、真に不特定多数の日常の中の幸せを考えてやりたいのだ。
鉄道はいろんな人の日常を乗せている。いろんな人の感情を乗せている。
満員電車、遅延、古く汚い、分かりづらい・・・
そういうマイナスな心の変化をデザインの力で取り除きたい。
それだけでなく、ポジティブな心の変化をもたらして、誰かの日常に彩りを加えたい。
デザインでマイナスな心の変化を払拭する
つまり鉄道での移動におけるストレスを軽減することである。
1. 安全であること、2. 楽であること、3. わかりやすいこと。
多くのユーザーが本当に駅を快適だと思えるようにするには、これらを確実に積み上げなければならない。
例えばバリアフリーの観点で歩行距離を短くしたいとするなら、土木構造物の構成から考えなければならない。電車から降りた後の他社線やバスへの乗り換えをスムーズにするには他の交通モードとの複合化を図らなければならない。またわかりやすくしようした結果、過剰に案内サインが氾濫し、かえって空間の意味をわかりづらくしていることもある。空間意味の違いが内装計画で表現されていたり、動線が入り混じるところを見通しの良い構造にしていればそのような事態も起きない。空間構成のデザインと案内サインのデザインにも一貫性が必要なのだ。(※日本の駅のサインは本当にひどいのでまた別記事で熱弁する)
したがって駅でのストレスを取り除き快適なものにするには、駅をトータルにつくりあげる発想が欠かせない。
しかし実際の駅デザインの検討体制は、一貫して縦割りだ。
日本の駅づくりの根本的な欠陥は、土木部門が構造を考え、建築部門が内装を仕上げるという、総合的な人間環境のデザインイメージを欠いた検討体制にある。
魅力的な駅をつくろうと、建築家が駅のデザインに関わる場合もあるが、この場合建物の本体はすでに決まっていて、建築家はそのあとの化粧を考えるだけのことが多い。こうしたやり方では建築家が建築的な能力を発揮するのにも限界がある。鉄道会社にとって大事なのは、過去につくり上げた基準とコスト、メンテナンスフリーであること、正直なところ駅は使えればいいと、その程度にしか考えられていない。本気で駅に集散する人々の快適さが考えられているわけではないように思う。
鉄道会社の内部に、駅づくりでパブリックデザインとトータルデザインを考えられる人材と、考えられる立場が、ぜひとも必要である。必要は発明の母とは昔から言われることだが、重要なのは、より高いところで必要との判断があることだ。
デザインでポジティブな心の変化を創造する
わたしの想いが一番強いのはこれである。
日本の鉄道は前述のマイナスな影響を払拭することもままなっていないが、これをクリアするだけで満足できるわけではない。それは最低限必要な要件であり、真のデザインの役割とは、誰かにポジティブな心の変化を生むことである。
つまり駅の魅力を高めるということである。
自然光を取り入れる、外の景色を見えるようにする、できるだけ開放的で大きな空間を設けるなどの工夫はコストがかかろうともなるべく施す努力をすべきだ。
一つの空間で統一性が強調されすぎると圧迫感がでて窮屈かつ退屈に感じる。動線が長い場合などは単位空間ごとに色彩やテクスチャに変化がありながら、全体でまとまりとストーリーが感じられる空間構成が望ましい。
さらに駅ごとに個性があって、それぞれの空間が活気に満ちていれば、そこを利用することは楽しくなる。
このあたりは圧倒的に海外の方が力が入っている。
パリ地下鉄の駅名標は書体、大きさとも駅ごとに思い思いにデザインされている。ストックホルム地下鉄では100ある駅の大半が駅空間全体に絵画やモザイク、彫刻などが施されている。アメリカのグランドセントラル駅やユニオン駅では広々とした吹き抜けのコンコースのホール空間が利用者に感慨を与えている。
海外は鉄道に限らず、公共空間の設計においては当たり前に建築家などをディレクターとするデザインチームが統括する立場に就き、空間構成から内装、グラフィックまでトータルにデザインする。市長などの責任ある立場の人がデザインの重要性を理解し必要を感じているのだ。
日本の駅には、風景がないのである。
最近リニューアルされた駅はだいたい、ライトグレーに塗装された金属壁とアルミ素地色の天井、グレーの床面。その中にかなり強い調子のサインと広告。それがすべてで風景がない。単調さと閉塞感、息苦しさまで感じる。鉄道会社の社内基準とコスト、メンテナンスフリーばかりが考えられ、利用者を中心に考えられていない結果である。
生活に必要なものこそ、美しくあるべきなのである。
人の生活を、利便性を超えて豊かにしていきたい。その利便性を超えた豊かさとは、人の心の動きだ。それを生み出すものがデザインであるべきなのだ。
日本の駅空間を良くしたい
わたしは鉄道会社の建築職で、まだ3年目の立場だ。
大学で土木を専攻し、大学院では公共空間デザインを学んだ。
自分にできる仕事なんてまだまだ限られているのかもしれない。
でも本気で良い駅をつくりたいと、ずっと考えている。
この想いをどうしたらいいんだ。
とりあえず上の人に話してみたい。
そのためにここに考えを整理した。
本当に会社を動かせるのかわからない。
それに一つの会社を動かしたって仕方ない。
日本の鉄道全体を変えるにはどうしたらいいんだ。
わからない。
でもできることからやる。
少しずつ共感を集めることから。
ここに記したことはきっと意味があると信じて。
参考図書
「塑する思考」佐藤卓 著
「ブランディングデザインの教科書」西澤明洋 著
「駅をデザインする」赤瀬達三 著
「デザインとはなにか」平野光太郎 著