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実は養子だった話 #1ー自分の秘密を知った日
私は、父母、妹弟、父方の祖父母の7人家族の中で育ちました。
田舎の3世帯家族で、特に珍しくもなく、周囲から見ても普通の家庭に見えていたかと思います。
でも、実際は...👀
私の実の父母は、私が
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0歳で、別居
1歳で、調停離婚(親権は母親)
2歳で、母が再婚
そして、再婚相手(養父)と普通養子縁組をしたことで、私は養父の「養女」となりました。
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その後、実母と養父の間に、私にとっての妹弟ができました。
ここまでは、最近よくあるステップファミリー(再婚家庭)といった感じですが...
私がこの事実を知ったのは、養子縁組から19年後、21歳の時でした。
1.秘密に気付いたキッカケ
自分の出自の秘密(自分が養子だったこと)は、初めて自分で自分の戸籍を見て、知りました。
看護師国家試験の受験申し込みには、戸籍抄本が必要でした。
ひとり暮らしで大学に通っていましたが、住民票は実家に置いたままだったので、地元の役所に取り行く必要がありました。
休日に帰省した際、家族の前で、
「今度、戸籍抄本を取りに行かないと」
と、何気なく話した時、父の一言が気になりました。
「何に使うんだ」
学校で必要な書類などは、昔から母任せの父が急に問い詰めてくる不思議さ。理由を話すと、続けて母が、
「私が平日、仕事の合間に取ってくるよ、すぐ郵送するから。役所に行かなくていいよ。」
その場では、母にお願いして話は終わったものの、フツフツと沸き上がる違和感。そういえば、パスポート申請や役所関係の書類の取り寄せは、母が全て手続きしてくれていました。
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思えば、物心ついてから、ずっと、違和感を抱えていました。
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家族の中にいるのに、自分だけが属していない感覚。
祖父が、妹弟の方を可愛がっているような不安。
祖母に抱きしめられた時、圧倒的に私を支配した「他人である」という確信。
父方の家族とはどうしても合わない清潔観念。
そして、父と母の、私だけに対する虐待と不信感。
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挙げればキリがない違和感を、
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自分がおかしいのだ、
私が妹弟のように良い子じゃないから、
母が言うように「出来損ない」の子だから、
父が暴力を振るうのは、私が期待に応えられないからだ、
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と、いくつもの理由を見つけて、自分を納得させようとしてきました。
2.気付きの日
母から戸籍が郵送されて来た時、
「役所で封をしてもらったから、そのまま大学に提出して」
と事前に連絡を受けていましたが、受け取ってすぐに1人で開封しました。
言いようのない不安と、ようやく本当のことが知れるのだという気持ちが入り混じった不思議な高揚感がありました。
戸籍抄本を開いてすぐ、父・母の欄を見ました。
「父」の欄には、私とは苗字の違う、聞いたこともない男性の名前が書いてありました。
名前の読み方すら分かりませんでした。
でも法律で証明された、確かな「父」の存在と、長年の違和感の理由を知ったことで、私が最初に味わった感情は安堵でした。
自分が養子であることを知って、心から安心しました。
自分がおかしかったのではなかった、事実がちゃんとあったのだ、と思えたのです。
そして、父と思ってきた人と血が繋がっていないことへの驚き、父方の祖父母とも他人であったという悲しさが湧いてきました。
私を家族として迎えてから、
実母と養父、そして母の連れ子(私)を家族として迎えた祖父母が、
〈私の本当の父は他にいること〉
つまり、
〈妹弟とは父親が違うこと〉
〈父(養父)とは血縁がないこと〉
という事実を、私に対して徹底的に秘密にしてきたのだと知りました。
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次回は、「養子であることを知ってから取った行動」について書こうかなと思います。長くてすみません!🙏🏻
1番上の写真は、何年か前に神奈川で撮った写真です。時期は違いますが、鯉のぼりって「仲の良い家族」の象徴みたいなイメージがあって、昔から好きです🎏