「ていねいに生きる」ための第一歩
少し前のことになりますが、松浦弥太郎さんの著書『今日もていねいに。』を読みました。
本書は「ていねいに生きる」をテーマに、著者の具体的な行動や習慣、考え方が紹介されています。個別に見ていけば「確かに」と思うこともあれば、「自分には難易度が高いなぁ」と感じることもありますが・・・
「自分にとって『ていねいに生きる』とはなんだろう?」
「これから『ていねいに生きる』ために、具体的なすべきことはなんだろう?」
・・・と考えるきっかけになったことは間違いない事実だと思っています。
今にして思えば、本書を選び、読み、このような考えになったということは、私の心のどこかで、「ていねいではないと感じること」の存在に気づいていたのかも知れません。
そして、現在読んでいる本のひとつが三宅香帆さんの著書『「好き」を言語化する技術』です。本書は以前に刊行された『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』の携書版になります。
今のところ、途中までしか読んでいないのですが、本書のなかでは「自分の好きを言語化することの大切さ」を説いており、何となく「スゲー!」「ヤベー!」「面白かった!」だけで終わるのではなく、「自分の心が大きく動いた理由を自分と向き合い考えて言語化することで、自分への理解が深まり、自分の人生を愛することにも繋がる」ということが記述されています。
ここまで読んで・・・
「もし、私が今より『ていねいに生きる』ことを考えるなら、最初にするべきことは『好きを言語化する』ことなのでは?」
・・・と、思ったのです。自分自身の感情が動いた(特に好きや感動した)とき、私はその理由をていねいに言語化していないように思ったのです。
特に「読書」については、その傾向が顕著に現れていて、せっかく読んで心が動いた小説があったとしても、それを言語化しないまま次の本を読んでいくため、今の状況は「物語を消費しているだけ」になっているように感じます。
このよな状態になっている大きな要因は、「言語化する手間と時間の問題」、そして私の潜在意識のなかにある「『精読』より『多読』を重視する傾向」だと思います。
実は3年くらい前までは、本を読み終えた後、インスタに本の写真とその感想を投稿していました。しかし、「インスタに書く文章を考える時間を、別の本を読む時間に当てたい」と考え、それ以降は本の写真だけを投稿するようになったのです。
これだと、確かに読書の時間は確保しやすいし、言語化する労力もなくなりますが、その本から得られるはずだった「心の栄養」が未消化のまま、体の外に放出されていくような状態なのかも知れません。こんな状態はもったいないと感じます。
公開するかどうかは別として・・・
『「本を読んで終わり」ではなく、その本で感じたことを言語化するまでを1セットにする。』
そのことが、「自分にとっての『ていねいな生き方』」の具体的な行動のひとつであり、より良い人生に繋がっていくように思います。
それと同時に、「noteで紹介できるようになれば、一石二鳥だよね」と、密かに画策しています。