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Anatomy of a Fall (落下の解剖学)の感想
見出し画像はIMDBより引用
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Anatomy of a Fall (邦題:落下の解剖学)という映画を見てきた。他にはあまりない特徴のある映画で最後まで楽しんでみることができたしなるべく多くの人に見てもらいたいのでここに感想を書いてみる。
一方でこの映画は見ていく中で徐々に色々なことが明かされていく作りになっているため、本当に楽しむためには極力前情報のない状態でみるべきだと思う。自分はあらすじを読んだだけで予告編すら見ないで見に行ったがそれが大正解だったと思う。
なので、この記事も2つに分けて、前半には直接内容に触れないけど少しでも映画に興味を持ってもらえそうな情報を書き、後半ではネタバレを含んだ部分では自分がこの映画において面白いと思った部分を書いてみたいと思う。できれば前半部分の記事を読んで多くの人に映画を見てもらい、映画を見た人には後半を読んでもらって色々感想を話せたら面白いなと思う。
映画の周辺情報
あらすじ
雪山の山荘で男が転落死した。
男の妻に殺人容疑がかかり、唯一の証人は視覚障がいのある11歳の息子。
これは事故か、自殺か、殺人かー
かなり簡潔なあらすじだけど本当にこれで十分、これ以上は蛇足になるのでこの情報だけ握りしめて劇場に行ってほしい。
映画祭や映画賞における評価
自分は映画を観る際にあまり重視しているわけではないが、この映画は映画祭や映画賞でも高く評価されている。
*内容は2024年2月25日現在
第76回カンヌ国際映画祭 最高賞パルムドール受賞
第81回ゴールデングローブ賞 脚本賞、非英語作品賞受賞
作品賞、主演女優賞ノミネートアカデミー賞 作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞ノミネート
受賞内容から特に主演女優の方の演技と脚本周りで評価されていることがわかる。「非英語作品」というのはこの映画にとって重要な要素なのだが、その部分については後半で触れたいと思う。
スタッフ
クレジットされている監督はJustine Trietさん、脚本は監督とArthur Harariさんの共同クレジットとなっている。町山さんのYoutubeビデオで知ったのだが、この2人は夫婦でおそらくコロナ期の閉塞期の中で書かれたものだろうとのこと。この事実は映画の内容により一層深みを持たせるもので、見終わった後に知って感心した。
町山さんのYoutubeの動画はこちら↓
公開されている内容なので一応貼って置くけれど、この動画を見る前に映画を観ることを強くお勧めする。
主演:Sandra Hüller
主演のサンドラさんは今回アカデミー賞にノミネートされている別の作品であるZone Of Interestにも出演されていて、硬派な作品に出ている女優さんであるということがわかる。ドイツ出身の女優さんでこのあたりも映画にかなり関わってくるのだが、この部分については後半で触れたい。
前半のまとめ
前半ではこの映画のあらすじと概要情報について内容になるべく触れない形でまとめてみた。先述の通りこの映画は徐々に色々な情報が明らかになっていく作りが面白く、その情報を知った状態で映画をみるとその見え方が全く別のものに変わってしまう映画だと思うので、できれば前情報を何も知らない状態で見るのが一番楽しめる映画だと思う。なのでできればこれだけの情報で見てその後後半を読んでもらえたらいいなと思う。後半では映画をみた人向けに内容に踏み込んで面白いと思った部分などを書いてみる。
見る人によって感想が変わる余白の多い映画
この映画の一番面白い部分はその余白の多さだと思う。
この映画はカテゴライズするとしたら、人によっては法廷ミステリーとするかもしれない。自分も見る前はあらすじからミステリーだと思って見に行っていたけど、ミステリーというよりはドラマが正しい見方だと思う。法廷の外での出来事は登場人物が1人になる場面はほとんど描かれず、事件そのものに直接は関わらない裁判のビルドアップの部分がメインになる。なので事件において実際に何があったのか、裁判の結果は何が適切なのかという判断は完全に観客に委ねられており、観客はさながら裁判員として裁判に参加するような作りになっている。そのような作りを通して人々が「真実」と呼ぶものがいかに玉虫色で不確かなものであるかということを見事に描き出しているのがこの作品の一番の魅力だと自分は感じた。以下で特に面白いと思った部分について書いてみたい。
「非英語映画」
自分はこの映画をオーストラリアで鑑賞した。オーストラリアでは、英語の部分は当然そのまま字幕なし、フランス語の部分は英語の字幕が出るようになっていた。
おそらくなのだが、この映画を日本で字幕付きで見た場合は英語、フランス語双方に字幕が出るはずでもしかしたらフランス語部分はフランス語とわかるように<>や斜体が使われていたかもしれない。英語を使わない人がどちらの言語も外国語として字幕で見るのと、英語からフランス語に急に変わって慌てて字幕を追う必要があるのとでは印象が違うと思うし、フランス語の部分が翻訳されている内容や役者さんの表情も相まって余計になんとなく嫌味ったらしく聞こえてくる。フランス語が堪能な人からしたら聞こえてくるニュアンスやもしかしたら内容自体も全然違うものに聞こえるかもしれないし、ドイツ語圏の人も全く違う印象を受けるような気がする。
これは外国語映画であれば当然なのだが、この映画においては特に重要なポイントとなる。主人公のサンドラはドイツ人であり、フランス語は得意ではなく、夫婦間の会話も「妥協点」として英語を用いて行なっている。冒頭サンドラが話し始めたところから英語ネイティブの人ではないのだろうと思って見ていたが、それがしっかりストーリーに関わる形で描かれていて感心した。
裁判の準備において担当の弁護士からも裁判官の印象をよくするためにフランス語で話せるように練習してほしいと言われていたり、そもそも彼女の母国語であるドイツ語については一言も発するタイミングがなかったりと、言語の選択には政治的な力が働いているのだということがしっかり描かれている。クライマックスの夫婦喧嘩は英語で行われていたが裁判所ではその音声が流されるとともにフランス語の翻訳が投影されていた。英語はアクセントやニュアンスで意味が変わる言語だがそこで完全に分断が生まれる。そもそも投影されているフランス語の翻訳が適切であるという保証はあるのだろうか?ちょっとした意訳や訳語選択で印象が変わることはしょっちゅうだし人生が懸かった裁判を苦手な他国語で行わなければいけない不安は英語圏で生活する日本語話者としては身につまされる気持ちだった。
これは、日本語を読み書きし会話することが生活の前提になっている日本においてもしばしば忘れられている事実で、日本語の強要が意識的/無意識的に差別的な行為に用いられていることもある。また、戦前において植民地で日本語教育を強制していたこともしっかり頭に入れておく必要があると思う。
このように見る人が話し理解する言語によって受ける印象が大きく変わるであろうところは映画を見ていて特に印象的な部分だった。
夫婦喧嘩の内容
この映画のクライマックスの一つは終盤に裁判で取り上げられる夫婦喧嘩だと思う。この内容をどう捉えるかによって、サンドラおよび夫であり被害者であるサミュエルに対する印象が正反対になると思う。
この文章は映画を見た人を相手に書いているので、この部分の内容については省略するが、この後の検事の「人生のコントロールを取り戻そうとしている男性の姿」というようなことを言っていた描写が印象的だった。
自分はクリエイティブな方面においては挫折と諦めを経験してきており、30代後半であり、男性である。サミュエルの内面はわからないが、サミュエルの言葉からは同じような心情を経験しているような内容を感じた。
自分はそのクリエイティブな部分を諦めたくなかったから30歳の頃に結婚しないことを選択したし、その結果今オーストラリアに住んで別の形で再び人生に対して挑戦することができており、その状況に心底幸せを感じているしこれまでの人生における選択が間違っていなかったと思っている。
これは結婚ということを否定するわけではなく、少なくとも30歳の頃の自分にとっては正しくない選択であったということで、もしも、もしもあの頃に結婚していたら今でも日本のアパートの一室で自分の才能のなさに絶望していたかもしれないしそれをパートナーやもしいたら子どものせいにしてしまっていたかもしれない、と思った。
世の中にはどのような状況でもクリエイティブな作業に向かうことができる人がいて、また作品を形にするのが得意な人と形にすることがどうしても苦手な人がいる。サンドラがサミュエルに対して言うアイディアや断片は素晴らしいのに形にしないで途中で投げ出してしまうと言う評価は自分のことを言われているようでとてもしんどかったし、そのような人が横にいる生活はきっときついだろうなと勝手に同情してしまった。
自分はどちらかと言うとサミュエルの心情を慮って自殺に追い込まれた気持ちを理解したような気がしてしまったが、人によってはサミュエルの情けなさに対するサンドラの軽蔑の念や憧れていた人のメッキが剥がれたことを目の当たりにした気持ちや今後の生活に対する諦めなどを感じ取ってサンドラが夫を殺した気持ちを理解するかもしれない。
この場面は監督と脚本の2人が夫婦だと言うことを踏まえるとこの会話に含まれる気持ちのようなものはより一層重く感じられる。それを再現して演じ切った夫婦役の2人の演技も含めてこの映画で一番のクライマックスだと思う。
まとめー目にみえることから事実が理解できない時は我々自身が判断しないといけない
この映画はここまで書いたように見る人によって物事の見え方はいかようにも変わるということを丹念に描いている。一方で、そういうものですよ、と投げっぱなしにしているわけではないことがこの映画の一番素晴らしい部分だと思う。観客と同様に投げかけられた材料からは事実を判断できないダニエルに対して裁判中彼の後見人を務めていたマージが投げかけていた言葉が「事実が何かわからないなら我々自身が判断しないといけない」と言うもので、それは無理矢理納得しなければいけないと言うこと?と問うダニエルに対してそうではなく判断をしないといけないと言うことだ、と答える問答も素晴らしかったと思う。
このメッセージは自分の好きな「TENET」や「メッセージ」などの映画と共通する、かえられないことが目の前にあったとしても重要なのは自分がそこにどのように向かっていくかということだと言う考え方に近いような気がする。
結果的にダニエルの下した決断で物語が転がる。その結末をどう判断するかは人によって違うと思うけど、決断というものは本当にエネルギーがいるものでしばしば先送り先送りにしてしまうものだと思う。でも、やっぱり人生という物語を転がすためには決断は不可欠で、その裏にある事実や運命は変えられないものだったとしても、そこに自分がどう向かっていくのかということこそが大事なんだと思う。
おまけーこの映画をみて思い出した映画
12人の怒れる男たち
法廷もの、徐々に明らかになっていく新しい情報(見方)、世の中をどう捉えそこにどう向かっていくのかということなど、真っ先に思い出したのはこの映画。確か高校の頃に授業の一環でみた映画で今でも自分に大きな影響を与えてる一本。
羅生門
これも見方によって事実がどんどん変わっていく名作だと思う。
ウインド・リバー
メインビジュアルも似ているし、なんとなく見る前はこの映画を連想していた。
TENET
まとめにも書いたけど、テイストも内容も全然違うものの似た方向性を感じる映画だった。
メッセージ
これも。TENETとメッセージは自分が好きな映画のエッセンスが詰まっているので、ある方向性において面白いと思う、評価したいと思う映画に似た要素が入ってくるのは必然かもしれない。
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