Mother tongue
母語を意味する言葉をタイトルにした曲がある。今までそんなに注視して聴いていなかった曲が突然彼女の事を歌っている様に感じられてかなり驚いた。
"I didn’t see it coming
But I never really had much faith
In the universe’s magic, (oh no)
Til’ it pulled us to that time & place
& I’ll never forget"
何も起こる気なんかしなくてさ
かと言って何かを信じてた訳じゃないんだけど
時間とか空間だとか、忘れられない事とか
そんな事から引っ張り出してくれるような
そんな魔法が起こる気がして。
"When the floodgates opened (we)
We cried an ocean
It still got me choking
It’s hard to explain"
心の枷が外れて流れ出た涙が海になった。
そいつが未だに自分の首を絞めるんだけど
どう説明しろって言うんだろう?
"I know you know me
You don’t have to show me (a-)
I feel your lonely
No need to explain"
君は僕の事を分かっているけど
君が僕を証明なんてしなくていいんだ
僕だって君の孤独を知っている
だけどそれは説明する必要なんて無いんだ。
"So don’t say you love me fala amo.
Just let your heart speak up & I’ll know.
No amount of words can ever find a way
To make sense of this,
So I wanna hear your mother tongue."
"amo"をただの"愛"だと片付けないでくれ
心の声を上げてくれよ。僕もそれを聞こう。
どんなに言葉を積み重ねても、それが正しさになる訳じゃ無い。もっと聞かせてくれよ。
君を形作るその言語を聞かせて欲しいんだ。
言葉じゃ足りない何か
好き、の最大限が愛してるだとするならそれ以上の感情を言語化出来ないのだろうか?月が綺麗ですねだなんて回りくどい言い方ではなくて、その言葉さえあればお互いが通じ合う様な。
でもそれがもし存在したならば僕らはこんなに愛し合わないだろう。確かめようと手を伸ばして、抱き寄せて唇を重ねたりもしない。鼻チューして愛してるだなんて囁かないし、ふとした時に手も繋がない。悲しい事だ。
言葉というのは不思議なモノで何回も何回も塗り重ねると重たくなって元あった意味とは全くの別物になってしまう事がある。だからだろうか?彼女は普段あまり愛を伝えたりしない。だから僕は汲み取るのが上手くなった。
好きの代わりに
彼女は良く目を逸らす。鼻に皺を寄せて機嫌の悪い顔をして見せる。終いには"ウザい"だなんて言い始める。これは彼女なりの"好き"なのだ。
汲み取るのが上手くなった僕は彼女の考えが表情や仕草から分かるようになってきた。でも彼女からすればそれは大変気に食わない事らしく、事あるごとに"キモい!"だの"ウザい!"だのと悪態をついて目を逸らす。その癖に僕が離れようとすると目は逸らしたまま手は強く握ってくるのだ。
きっとこの記事を彼女が読んだら酷い感想が送られてくるに違いない。"キモイです。むり。うざい"分かってる。でもこんな芸当が出来るのは僕だけだと確信している。言葉少なな彼女の感情をここまで精密に汲み取る事が出来るのは、他でも無い僕だからだ。だから僕はその彼女の悪態すら誇りに思う。
言葉で足りなければ体で
だから僕らは抱きしめ合う。その体温と鼓動を感じる為に。お互いの匂いと姿形を全身を使って観測する。それが愛の形であり、匂いなのだ。深い呼吸をして壊れそうなくらい強く抱き締めても全て掴みきれない。だから離れる事を恐れるし、近くに居なければ不安になる。どれだけ互いに愛し合っていようが、言葉で足りず体でも足りないのだ。永遠に満ちる事のないコップに永遠に注がなければならない。
願わくば注いだその水で花が枯れない事を祈る。大抵は水のやり過ぎか、その逆で花は枯れてしまうし酷ければ根まで腐る。そんな花は見たくない。
不定形な心
形が定まっていないから掴みどころがないのだ。それは彼女から見た僕もそうらしいが、僕から見た彼女にも全く同じ事が言える。どんなに深く愛してもどんなに良く見つめても、それは最大限の公理であって真理ではない。つまり自分にしか分からない事なのだ。だから伝えたい。
"僕はどこにも行かないよ"
僕らは歌うように日々を生きて叫ぶように愛し合って、嘆くように互いに苦しんで、当たり前に眠りにつく。そんな愛おしい日々が少しでも長く続くように僕らは今日も誰にも聞こえない声で愛を伝え合う。僕らなりの母語を使って。
今日はここまで!
またいつか与太話を。
んじゃまた!!