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【絵本 エミリー】と【エミリ・ディキンスン家のネズミ】

ーこの世の中には、ふしぎななぞが、たくさん、ありますー

20年も家の外に出ないでくらす ”なぞの女性”と 隣の家に越してきた少女との思いがけない出会い。美しいバーバラ・クーニーの絵とエミリの詩。

【並べて楽しい絵本の世界】


恥ずかしながら、この絵本に出会うまで、いな、出会ってからも長いこと、私はエミリー・ディキンスンというアメリカの詩人をまったく知りませんでした。絵本にはちゃんとこの偉大な詩人のことが紹介されていたにも関わらず。

ただただ、バーバラ・クーニーの格調高い絵が好きで、登場する白い服のなぞの女性と女の子の出会いが美しくて、いい絵本だなぁと思っていたのです。

あらためて絵本を読みなおし、なぜこの詩人の人生のひとこまが、こんなにも静謐な作品として描かれたのだろうと、不思議な思いにかられています。

雪に覆われた街に女の子は引っ越してきます。
そしてある日、一通の手紙が届きます。
そこには、ブルーベルの押し花とともに、こんな文章が書かれていました。

いまのわたしはこの花のよう。
あなたのかなでる曲で、わたしを生きかえらせてください。
きっと、わたしのところへ、春がやってきてくれるでしょう。

それは、お向かいの黄色い家に住む ”なぞの女性” からの手紙でした。

女の子はおかあさんから、ブルーベルの押し花をもらって、おとなりの黄色い家と、ご婦人に思いを馳せます。

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その ひと は詩を書いているらしい。
詩ってなんだろう? おとうさんに聞きました。

ママがピアノをひいているのを聞いていてごらん。
おなじ曲をなんどもなんども練習しているうちに、あるとき、ふしぎなことがおこって、その曲がいきもののように呼吸しはじめる。
きいている人はぞくぞくっとする。
口ではうまく説明できない、ふしぎななぞだ。
それとおなじことを ことばがするとき、それを詩というんだよ。

おかあさんはお向かいの家を訪ねてピアノを弾くことにします。
女の子もいっしょに行っていいことになりました。

そのふしぎな女性は、演奏のあいだ、階段の上にかくれて聴いていますが、女の子はそっと階段を上っていってみます。ポケットの中には春を待つ、ゆりの球根がふたつ。

とても美しい出会いがここにあります。

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ものがたり最後に添えられているのは、エミリが女の子に手渡した一篇の詩

天国をみつけられなければ・・・この地上で
天上でもみつけられないでしょう
たとえどこにうつりすんでも
天使はいつもとなりに家をかりるのですから
   愛をこめて 
   エミリー

女の子はゆりの花咲く春の庭で、手を広げていいます

ー この世の中には、ふしぎななぞが、たくさん、ありますー

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作者のマイケル・ビダードさんは、今も保存されている、エミリが生涯を過ごした家を訪れました。
その時に、エミリがそっとこのおはなしをおろしてくれた、
と言っています。エミリーが子どもたちにみずから焼いたジンジャーブレッドを、かごに入れて、窓からおろしたように。

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今回あわせてこちらの本も読みました。
この詩人の人生のひとこまを、おはなしの世界に作り上げた本がここにもありました。

これは、エミリの家に住むことになった、小さな白いねずみのエマラインと エミリの、詩と心の交流のおはなし。

エミリの詩は生前、数篇しか発表されることなく、彼女が55歳の若さで病気で亡くなってから、妹の手によって、出版されました。その詩集はすぐに大きな成功をおさめて、版を重ねました。

この本では、数篇のエミリの詩も読むことができます。
訳は詩人の長田弘さんです。

ひとつの心が 壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって 無駄ではないだろう
ひとつのいのちの痛みを 癒せるなら
ひとつの苦しみを静められるなら
一羽の弱ったコマツグミを
もう一度 巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって 無駄ではないだろう

なぜこの詩人の人生のひとこまが、こんなにも静謐な作品として描かれたのだろうという私のなぞは、この本で少し理解できました。

エミリが亡くなってから長い時が過ぎましたけど、今も多くの人たちが彼女の世界を伝えたくて、心を注いでいるから、おはなしとして作られているのですね。

少しづつ手に取って、詩人エミリが感じていた世界を、私も辿ってみようと思います。

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読んでいただきありがとうございます。
あなたの読書も豊かなものになりますように。


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