ドゥシャン・ハナーク『Quiet Happiness』スロヴァキア、静かなる幸福を求めて
人生ベスト。ドゥシャン・ハナーク長編五作目。スロヴァキア映画鑑賞会企画。隣に眠る夫を起こさぬように身支度を済ませたソニャは、荷物を抱えてマンションを離れようとするが、玄関の鍵が開かずに連れ戻される。これが彼女の置かれた現状を的確に表している。夫エミールは無気力で意志薄弱で自分本位で、一緒に暮らす母親にもソニャにも依存している。口にすることと言えばソニャへの悪態か母親の言葉の繰り返しだけで、それが終われば趣味の無線通信に明け暮れる。エミールが小言を言わなくなると、今度は四六時中掃除している義母が顔を覗かせて嫌味を並べ始め、ソニャには居場所がどこにもない。しかし、世間体やらなんやらを気にする母子から逃げることもできない。だからこそ、起こさぬよう気付かれぬよう、そっと逃げ出すことしか出来ないのだ。東欧の『結婚しない女』とも呼ばれるドゥシャン・ハナークの長編四作目である本作品は、そんなソニャの目を通して抑圧から逃れようとする女性の心理学的探求を行っていく。
看護師であるソニャの周りにはもう一人、意志薄弱で自分本位な男がいる。彼女の上司で医師のマチコだ。彼は既婚者だが既に離婚間近であり、ソニャは彼と親密になっていく。しかし、彼はソニャよりも(妻よりも)仕事を優先した挙げ句、保険として彼女を誰かを"支えてくれる人"としてキープしようと画策していた。エミールとは方向性は違えど、ソニャを利用しようとしていたことに変わりはない。ソニャはそれを知りながら、無理に自分を曲げてまで彼らに"適応"しようとしてきたのだ。
象徴的に扱われているのが"子供"の存在である。エミールが子供嫌いなので夫婦には子供がおらず、それでも子供が好きなソニャは子供が欲しいと密かに思い続けている。ネグレクトされて病院に連れてこられたマロシュという少年を特に可愛がっていたのも、擬似的な親子関係を築くことで彼を救いながら、子供を持つことのできないソニャ自身を慰めていたのだろう。そして、続くMacko との不倫関係で子供を得たソニャは、彼女を愛してはいるものの仕事を優先させた Macko と同様に、子供を優先させて病院を離れる。この展開からも分かる通り、彼女は決して一方的な被害者として描かれているわけではなく、自分の力で人生を切り拓こうとして試行錯誤を繰り返しているのだ。本作品の凄まじいところはここで、誰もが完璧でないとしながら、"だからどっちも悪い"という前世紀的な解決で結論を有耶無耶にしないことだろう。彼女以外の人間、意志薄弱な男たちに至るまで、性別や職業における違いを描きながら、その中にいる個人を一人一人描き分けている巧みさと繊細さがとても心地よい。看過できるか否かは別にして、それぞれがまるで生きている人間であるかのように複雑な感情を抱えているのが画面の端々から伝わってくる、実に豊かな映画だ。
リヴ・ウルマンのエッセイから"一人で生きるほうが幸せな女性もいるが、彼女たちとて自身が価値あると証明してくれる人間は必要だ"という文言が引用され、ソニャはそれに"私はいらない"と応える。誰かの妻、誰かの恋人ではない、ソニャとしての生き方を歩み始めた彼女を映画全体が祝福するように、静かで軽やかなラストへと舞い降りる。彼女は一人だが独りではない。ショーウィンドウに映った笑顔の自分にそっと触れるシーンの美しさたるや。そして、彼女は人に頼らない自由を手に入れたのだ。
・作品データ
原題:Tichá radosť
上映時間:89分
監督:Dušan Hanák
製作:1986年(スロヴァキア)
・評価:90点
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