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シャンタル・アケルマン『オルメイヤーの阿房宮』その昔、東南アジアのどこかで...

圧倒的大傑作。東南アジア奥地の河畔にある小屋で暮らす白人男性オルメイヤー。"昔々どこかで"と場所も時代も明かされず、侮蔑的な意味での"マレーシア"という言及のみに留まるなど、絶妙な時代錯誤感が『地獄の黙示録』を思い起こさせるが、やはりどちらもジョセフ・コンラッドの作品を映画化しているという共通点がある。しかし、狂気の根源を心的世界の中に探し出す旅路を描いた『地獄の黙示録』とは異なり、どちらかと言えば時間が止まった空間における生と死の対立を扱っているように思える。その異様な空気は冒頭から顕著だ。カラフルなステージで歌い踊る男性シンガーと女性ダンサーに近付く男の長回しに始まり、シンガーが男に殺されてダンサーが全員逃げても、一人だけ残った女性はカメラに向かって歌い始める。彼女こそオルメイヤーの溺愛するニナであり、本作品の影の主人公なのだ。

娘のニナを溺愛するオルメイヤーは、阿房宮とも呼べない川岸の掘っ立て小屋に暮らし、そこからほぼ一歩も出ること無く娘への愛を語り続ける。それに対して、ニナは比較的自由に現代的な街並みを歩き回り(この横移動長回しが素晴らしいのだ)、退廃的でミニマルな父親の物語に反するように色と時間に彩られている。二人を繋いでいるのは雨/川/海という水の連想であり、それは水に浮かぶベッドで亡くなるリンガール船長を介して死にも繋がる。そして、これら親子間の繋がりは溺愛として結びつき、ニナは初期アケルマン作品から連綿と続く"抑圧された女性"の要素を引き継ぐ。白人の教育を施そうと外国人学校に入れられたニナの孤独は、後に語る父親への恨み節よりも放浪する背中から推し量ることが出来るし、強すぎる愛が子供への重圧となって逆に遠ざけてしまう結果に至り、大きすぎる愛が抑圧へと変わっていくのだ。

ニナが動くシーンは必ずスーッとカメラが動く横移動で撮られており、彼女の聖性を強調している。どのシーンも美しいが、特に学校を出た直後に突然煙草吸い始めるシーンが素晴らしい。どれほど不自由な生活を送っていたかを明示している。ジャングルで対峙した父娘が、必然的に船に乗って真っ白な砂浜で今生の別れを迎えるのも反則的に美しい。

・作品データ

原題:La Folie Almayer / Almayer’s Folly
上映時間:127分
監督:Chantal Akerman
製作:2011年(ベルギー, フランス)

・評価:100点

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