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Yorgos Tzavellas『The Counterfeit Coin』へばることのない偽装金貨と変化を続ける人間たち

マイケル・カコヤニス、ニコス・コンドゥロスと並び、戦後ギリシャを代表する映画監督ヨルゴス・ツァヴェラス。脚本家として活躍する傍ら、自身も映画監督として活動し11本の長編を残すも、50歳という若さで亡くなってしまったために、今では忘れ去られてしまった監督の一人である。彼の代表作は、ソフォクレスの同名悲劇を映画化した『アンティゴネ』、或いはその年の最高収益となった『The Drunkard』と言われているが、最も評価が高く世界的に有名なのは本作品である。

冒頭、モノクロの画面に突如として現れる金色のコイン。金貨にだけ色が塗られているという状況で、この映画のマクガフィンたる偽装金貨について男が説明を始める。偽装金貨はへばらない、つまり手にすればすぐに分かる、だが私は間抜けにも手にしてしまったと続け、語り部となる男は偽装コインが自分の手に渡るまでの遍歴をそれに関わった人々のエピソードを交えて、四部構成で語り始める。当時のギリシャはナチス時代とパパドプロス時代のちょうど端境期にあった経済成長期であり、お金を巡る実に資本主義的な物語が世代や階級を越えて語られていき、金貨のもたらす影響を多角的に観察していく。

第一部では堅実な彫物師が、悪質な詐欺師とその愛人に唆され、偽装金貨を作ってしまう姿を追う。詐欺師が初めて登場する際に、顔の下から光を当てるという古典的な悪党描写が楽しい。彫刻師と詐欺師が出会うキッカケとなるのが、アメリカ帰りの実業家という設定も象徴的だ。
続く第二部では、全てを捨て去った彫刻師から偽装金貨を貰う受けた盲目の乞食が主人公となる。彼は街角で娼婦と立ち場所について争い、盲目を装っているだけだと見破られる。ここに世界最古の職業とも言える二人の人物が、意地でも金を獲得/消費しようとする姿を捉えていく。行く先々で盲目を装って偽装金貨を消費しようとする姿は、その化けの皮という意味で二重に滑稽だし、この二人がメロドラマ的にベッドインしながらも喧嘩別れするという帰結も実に悲観的だ。
第三部では貧しい家族の娘の視点から、家賃未払いを理由に家から追い出そうとする大家との闘いを描く。稼ぎ頭の父親が亡くなり、病床に伏す母親に代わって墓から取ってきた花束を売り歩く少女の姿は『マッチ売りの少女』と重なるが、決定的に異なるのは偽装金貨(希望)を拾っても盥回しにされ続ける少女に対して、大家が人間性を見せたところだろう。ここで金のやり取りがその行為以上の感情を含むことになり、感傷的かつ感動的だ。
第四部ではボヘミアンな画家とその金持ちの恋人が登場する。恋人は第三部の大家の姪で、彼から偽装金貨を渡されるのだ。"渡すなよ"というツッコミはさて置き、画家に託された金貨は困窮を続けても決して触れない資産=愛の象徴として描かれている。このパートだけ明らかに年単位で時間が流れるのも凄いが、最終的に"偽装金貨だけじゃなくてお金そのものが偽物みたいなもんだもんね"とまとめちゃうのは破壊力だけは凄まじいのではないか。

金貨だけがカラーになったのは2012年のレストア版からだと知ってちょっとげんなりしてしまった。ジョージ・ルーカスかよ。

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・作品データ

原題:Istoria mias kalpikis liras
上映時間:118分
監督:Yorgos Tzavellas
公開:1955年12月28日(ギリシャ)

・評価:70点

英語表記が自由すぎて大変。George Tzavellas、Giorgos Tzavellas、Yiorgos Tzavellas、Yorgos Javellas、Yorgos Tzavellasなどがあるらしい。

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