トマス・ヴィンターベア『アナザーラウンド』酔いどれおじさんズ、人生を見直す
マルティン、トミー、ペーター、ニコライは歴史、体育、音楽、心理学を教える中年教師。広い自宅、安定した職業、子供たちに囲まれた家庭、気が置けない仲間たち、彼らは表面上は幸せそうだが、学校でも家庭でも危機的状況を迎えている。そんな疲れ果てて無気力な彼らはノルウェーの心理学者 Finn Skårderud による奇想天外な理論に出会い、常時ほろ酔いなら様々なパフォーマンスが向上するという謎のセルフエンハンス理論を実践へと移していく。すると、常時酒を飲んでいたヘミングウェイやチャーチルを味方につけた彼らは、理論の証明をするなどと息巻きながら、疲れ果てた中年教師から活力溢れるイケオジへと変貌する。しかし、得られる高揚感への依存はアルコール依存への最短路に過ぎなかった。
本作品はアルコール依存への見解を示す作品ではない。勿論、酒を飲めば楽しいし、迷惑を掛ければ人間関係も悪い方へ変化するのだが、そういった"飲酒による結果"よりも変な理論を言い訳に飲みまくるしかない彼らの根底にある感情の方を重要視し、基本的には戯れているおじさんズを眺めている。念仏のような授業に冷え切った夫婦関係というのは、彼らが能動的に行動しなかった当然の結果なのだが、受動的な彼らなりに寂しさを感じつつ何か行動は起こさないといけないと頭の隅で考えている。四人がほろ酔い理論に頼ったのも、思考や行動から逃げるための飲酒という以外に、唯一の仲間である四人の団結という意味もあったのだろう。全く同じ境遇にいるからこそ、彼らは互いを/自分を慰めるように飲み続ける。
血中アルコール濃度を上げまくってどうなるか調べるぞ!などと言いながら、それはただ飲みまくってるだけなのだが、子供のようにはしゃいでいる彼らを見ていると、その何気ない平和さが妙に心に沁みる。コロナ以前であれば、本作品に対して"酒飲んだら飲んでないヤツの運転かタクシーに乗ってて偉い"と真っ先に思いそうだが、今となっては密集して飲み明かすこと自体が不可能になってしまったからだ。最終的に"少量なら薬にもなり得る"とまとめているのは希望的で、そこから流れ着くラスト5分のマッツ・ミケルセンによる見事なダンスは陰鬱になりかけた展開を一気に光の方向へと引き摺り戻してくれる。まるで、映画自体が依存症的憂鬱から抜け出すかのようにフッと光が差し、その手助けをしてくれる優しいマッツの舞いには不思議な温かさに満ちていた。
映画にも登場するはずだった監督の愛娘イーダは、撮影開始直後に19歳で交通事故によって亡くなってしまった。監督は非常に落ち込んだものの、彼女のために映画を完成させると奮起したらしい。本作品のやりきれない気持ちになる終盤は、彼のそういった経験を基にしているのかもしれない。
・作品データ
原題:Druk
上映時間:117分
監督:Thomas Vinterberg
製作:2020年(デンマーク, オランダ, スウェーデン)
・評価:80点
・カンヌ映画祭2020 カンヌ・レーベル作品
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