ネメシュ・ラースロー『サンセット』巨大帝国の壮麗なる落日
大傑作。千年以上に渡って反映したハプスブルク帝国の壮麗なる落日を天涯孤独な少女のアイデンティティを巡る旅路に重ね合わせ、彼女のありえん行動力によって階級間の梯子を上り下りしつつ重層的に語る、正に天才的な映画。これぞ"様々な思惑が絡み合う"状態の最高峰だと思うし、それぞれが自分の言いたくないことを隠しつつ別のことに興味を移したふりをしたりして(実際に邪魔が入ったりもするんだが)イリスの前から逃げ回り、イリスは彼らの発言の中から真実を見出していく。加えて、周りの人間は都合のいいようにイリスを利用しようとし、彼女はそれをも躱す必要があるのだ。
つまり、本作品が難解であると言われる所以は、この複雑怪奇に入り乱れまくった登場人物たちの思惑を丁寧に組み解く必要があるからだろうと推測できる。正に、歴史という大河の流れから濃縮された三日間を掬い取ったような映画だ。無駄な説明が一切なく、我々は逐一発言の真意や意図を考え続けなければならない。突然隣のクラスの大縄跳びの列に入れられたような感覚に陥る、魔術的な作品だった。
例えば、イリス。
イリスはアイデンティティを探すためにトリエステからブダペストにやってきた。遠い昔に失った両親の他に、まだ生きているかもしれない兄カルマンがいると知れば、彼を探し出すことが彼女の興味の中心になる。だが、よく考えれば分かるが兄を見つけたって何も起こらないのだ。今まで存在すら知らなかったのに何を語るのか。彼が店をイリスにくれるわけでもない、仲睦まじく暮らせるとも思えない。ここで、この旅路はゴールではなく過程が重要であるということに気が付く。これは"王太子妃に付いていく"というイベントに対しても同様であり、彼女を突き動かす根源に"自分が何者であるか"を知りたいという強烈な欲望があるのだ。
これこそが、千年帝国を崩壊に導いた"民族自決"の根源なのではないか。被支配民族であったマジャル人のアイデンティティの源泉は古くはアジア系騎馬民族にあり、いつの間にか西欧ナイズされ、民族としてのアイデンティティは失われてしまった。様々な人間の間を漂うように往来し、自分のアイデンティティを獲得していく様が、一次大戦以後の時代に向かって突き進む欧州の未来を的確に表しているのである。
いつも通りカメラは彼女に近すぎるのだが、長回し特有の現象である"切り返しの消滅"に対して、長回しの始めと終わりを切り返しにすることで画面を繋いでいたり、後ろに回り込んだカメラを振り返ったりして長回しを生成していて感動した。やっぱりヤンチョーやタルの遺伝子を受け継いだネメシュは長回しに自分の要素を付け加えている。素晴らしい限りだ。
例えば、店主ブリル。
創業者のボンボンが帰ってきてしまった。追い返そうにも兄のことを知ってしまって帰ることはなさそう。ならば近くに置いて利用してしまえ、というのが彼の発想の根源である。しかし、彼とて30周年記念式典と王太子夫妻の歓迎に忙しいし、イリスに興味がないので何をしようと勝手なのである。
労働者による革命や戦争、階級のちゃぶ台返しというのが本当にやってくると信じていない中産階級の代表格と言えるだろうか。悪い人間ではないが良い人間にもなれないという中途半端な感じが正に合致している。加えて、彼らが"帽子店"を営んでいるという皮肉も興味深い。帽子とは着飾って身分や権威を誇示する貴族社会にとって最も大切な衣装の一つである。人々は目的に合った帽子を買い求め、その下に蠢く"思惑"を隠しているのである。
などと、ここまで余白で楽しめる歴史ものも珍しい気もするが、そもそも
・ハンガリー映画
・近代史もの
・大量の登場人物たち
という私好みの要素を多分に含んでいるので興味が持続したという話もある。ので"全然語れてないじゃん"という反論も認める。
問いに対して明確な答えが帰ってくることの方が少ない。全てを知ることは出来ないのだ。しかし、それに対して自分なりの答えを持つことは誰にだって出来る。イリスは自分のアイデンティティを見出し、発散する方向へ突き進む歴史をその目で確かめることにしたのだった。ラスト、カメラに向き直った彼女の目には、未来が映っていたように見えた。
追記
監督はインタンビューでムルナウ『サンライズ』と対にしたかったみたいなこと言ってるらしいが、それは流石に後付でしょ。