フランチシェク・ヴラーチル『ミツバチの谷』"持たざる者"についての物語
フランチシェク・ヴラーチル長編四作目。前作『マルケータ・ラザロヴァー』では製作開始から初演まで膨大な年月と予算を食ったことから、撮影で使った衣装や小道具を使って別を映画を撮れ!という半ば脅しのような形で製作がスタートしたのが本作品。キャリア後期までコラボする脚本家ヴラディミール・ケルネルとの初タッグも本作品である。当初ケルネルはドラマチックな作品を想定して脚本を書いていたが、結果的に出来上がったのは『第七の封印』とも比肩し、『マルケータ・ラザロヴァー』と双対をなす、中世哲学絵巻だった。当局はラストシーンを気に入らず、観客も前作を支持したため、結果的にはヴラーチルの作家人生を縮めてしまった作品と言えるかもしれない。
本作品は田舎の地主だった主人公オンドジェイの父親が、当時少年だったオンドジェイと同年代くらいの少女を後妻として迎える結婚式から始まる。彼は新妻にコウモリの死骸入り花籠を送ったため、父親に首元を掴まれて石壁に投げつけられる。中々衝撃的なオープニングだ。結果的に助かったオンドジェイは、父の宣言通りドイツ騎士団に送られ、親友アルミンと共に青年へと成長した。ある日、仲間の一人が脱走に失敗したのをきっかけにオンドジェイは脱走し、アルミンは彼を連れ戻すために領地を離れる。二人は再会するが、オンドジェイは狂信的なアルミンを置いて地元に帰ってしまう。彼の地の人々は地主だった父親が猟犬に噛まれて亡くなったことで、肉を食べることすらままならない生活を送っていた。猟犬は何を象徴するのだろうか。肉を食べるには猟をする必要があり、それには猟犬が必要だ。つまり、猟犬というのは社会における"力"の象徴であり、それが"抗えない力"に結びつく。ドイツ騎士団では猟犬を持っているのに魚を食べ、最初の脱走者は捕まった上で猟犬に食い殺され、領主を失った谷では猟犬を失ったのだ。そこへ戻ってきたオンドジェイは残された義母と愛を育む(キリスト教的禁忌)と共に、ミツバチと猟犬を用いて谷の"力"を回復させてゆく。
領地を出て以降アルミンの喉の渇きが止まらないとの描写がある。これは信じていた義兄弟のオンドジェイがキリスト教的な禁欲生活に嫌気が差して脱走したことに起因するキリスト教への渇望の表れだろう。オンドジェイは、脱走のみならず、義母との結婚や谷の教会への寄付によって神父を黙らせることまでやってのけ、二人の間の亀裂は広がり続ける。この神父はアルミンに対して"騎士団の領地に戻ればキミの言う信仰は守れる"と言い、より下界・俗世に近い教会が生き延びるために何をするかは勝手であると説く。これによってアルミンの信じていた最も純粋な形のキリスト教というものが実は個人の欺瞞レベルに身を窶していることに気が付く。つまり領地ではマジョリティだった狂信的信仰は、外界ではマイノリティだったのだ。アルミンは後に猟犬によって食い殺され、ついに下界での崇高な信仰という理想主義は目に見える形で破滅させられる。
しかし、オンドジェイはドイツ騎士団の領地に戻ってくる。誰も居なくなった思い出の浜辺に膝をついて祈るという、ヴラーチルが『マルケータ・ラザロヴァー』でとったアンチキリスト教的立場に双対をなす終幕なのだ。父のことだろうか、レノーラのことだろうか、アルミンのことだろうか、谷のことだろうか、それともヴラーチルが未来のチェコに託した願いなのだろうか。
本作品でもキリスト教を社会主義に例えることが出来る。社会主義の最もプリミティブな姿は原始時代におけるコミュニティであり、理想としては誰もが生きるために働いて暮らすというものであるが、資本主義を経験してしまえば"持てるもの"が持てなくなるというのは恐怖でしかなく、成立し得ないというのが容易に分かるだろう。ドイツ騎士団の領地では理想主義的なユートピアが実現していたが、あれはそれを信じる人間が集まったから実現したわけであって、下界では通用しない。製作された当時はプラハの春の真っ只中であっただろうから、実現不可能な理想主義を押し付けていた社会主義に対する批判なんだろう。しかし、結局"持たざるもの"は理想でもなんでも"平等な"社会を理想に掲げて実現に奔走するしか道がない。最初から何も持っていなかったアルミンは理想主義にすがるしかなかった。そして、愛する者を全て失ったオンドジェイが帰る場所は最早"ミツバチの谷"ではなく"ドイツ騎士団の領地=Hope Land"しか残されていないのだ。
シェイクスピアに似た重厚な悲劇であり、キリスト教に絡んだ映画の"劇性"という観点からベルイマンや黒澤と並び称されるヴラーチルであるが、そんな評価もあながち間違ってはいないだろう。私としては前作『マルケータ・ラザロヴァー』の持つ異様なパワーが好きなので点数も伸び悩んでしまったが、本作品も世界の並み居る強豪と戦いうる素晴らしい出来だった。
・作品データ
原題:Údolí včel
上映時間:97分
監督:František Vláčil
製作:1968年(チェコスロバキア)
・評価:90点
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