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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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記事一覧

レイモン・ドゥパルドン『Captive of the Desert』フランス、砂漠に囚われた女

大傑作。レイモン・ドゥパルドン長編二作目。私的サンドリーヌ・ボネール映画祭。1974年にチャドの反政府勢力によって人質に取られたフランス人考古学者Françoise Claustreの実話に基づく。ドゥパルドンは3年間に及んだ拘束期間中、反政府勢力の拠点を訪れて彼女にインタビューをしており、その映像が反響を呼んでフランス政府による外交交渉の後押しをしたらしい。映画は最小限の台詞に留められており、そんな背景はほとんど語られない。老若男女問わず何も無い砂漠を歩く行列を延々と映す冒

アラン・レネ『人生は小説なり』異なる時代のユートピアを探し求める者たち

1983年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。アラン・レネ長編九作目。人生初の某エルメス映画館にて。予約が一瞬で埋まったと記憶しているが、埋まり具合は8割くらいだった。物語は三つの挿話を縦横無尽に往来する形で語られる。一つ目はとあるパチキレた貴族の男が友人たちを郊外に建設した悪趣味な"城"に招き、薬物で脳を破壊して幼児退行させることで永遠の幸せを手に入れようという極悪な実験をする話。二つ目はその60年後に学校として使われている同じ城で、子供の想像力を引き出すためのシンポジウ

マルコ・ベロッキオ『夜よ、こんにちは』実行犯から見たモーロ誘拐事件の裏側

大傑作。マルコ・ベロッキオ長編18作目。1978年3月16日、イタリア元首相アルド・モーロは誘拐された。当時のイタリアは極右と極左のテロ組織による衝突が断続的に続く"鉛の時代"という重苦しい時代にあって、モーロを誘拐した"赤の旅団"も極左テロ組織だった。この事件はイタリア人の心に消えない傷を残し、イタリア近代史の空白となって、今でも様々な本や論文が書かれ、証拠が出れば何度も再捜査が繰り返される、そんな事件らしい。本作品の主人公は"赤の旅団"で誘拐に関わるキアラという女性メンバ

マルコ・ベロッキオ『The Eyes, the Mouth』自殺した双子の弟を求めて

傑作。1982年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。マルコ・ベロッキオ長編八作目。ベロッキオは29歳のときに、双子の弟カミッロを自殺で亡くしており、本作品も自殺した双子の弟ピッポの葬儀のため、落ち目の俳優ジョヴァンニが久しぶりに帰省する場面から始まる。ジョヴァンニが話す弟とのエピソードの中に登場する"マルクスは待ってくれる"という発言はカミッロの言葉そのままだし(後に同じ題名のカミッロについてのドキュメンタリーを製作している)、キャリア躍進のきっかけとなったデビュー作『ポケ

モハマド・ラスロフ『Iron Island』イラン、沈みゆく船、沈みゆく国家

傑作。モハマド・ラスロフ長編一作目。ペルシャ湾に浮かぶ朽ちかけた石油タンカーで暮らす不法占拠者たちの物語。タンカーはネマト船長(ネモ船長への目配せか?)と呼ばれる老人によって支配されている。彼は毎日のように船内を巡回して住民たちの悩みを聞き、女たちの内職や男たちの船解体を指揮し、外部との交渉も行い、なんなら娘の結婚まで斡旋し、子供たちへの教育も整備するというように、表向きは"慈悲深き"指導者である。一方で、自分の定めたルールに従わない者には容赦しないという一面もある。つまり、

モハマド・ラスロフ『The White Meadows』涙を集める男が見たイランの寓話

傑作。モハマド・ラスロフ長編二作目。編集にはジャファル・パナヒ。主人公ラフマットは小さな島々を小舟で回りながら、冠婚葬祭から雨乞いみたいな儀式まで様々な行事に参加して人々の涙を集めている。どこまでも白い海辺の陸地、青から時に紫にまで変化する空、何も語らぬ静かな海という情景の美しさと相反して、そこに暮らす人々は伝統を重んじた生活と儀式の効能を信じており、宗教的過激主義、教条主義、女性差別、芸術や創造性の分野における重大な不正義によって息苦しさすら感じさせる。ラフマットは傍観者/

João Canijo『Living Bad』ポルトガル、子供を支配したい毒親三部作

2023年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門選出作品。ジョアン・カニホ(João Canijo)長編最新作二部作。同じ映画祭のコンペ部門に出品された『Bad Living』と対になっており、同作ではホテル経営をする親子三代、本作品ではそのホテルにやって来た客の目線で同じ時間の出来事を描いている。本作品は似たような境遇にある三組の客を三部構成で描いており、客同士の直接的な関わりはないものの、同じシーンを別の視点で見ることが出来るという点で『Bad Living』を別視点で3回見

マルコ・ベロッキオ『甘き人生』落下と家と死への無意識的な執着

傑作。マルコ・ベロッキオ長編23作目。マッシモ・グラメッリーニによる同名小説の映画化作品。子供時代に母親を亡くした主人公マッシモは大人になっても母親の幻影に縛られ続けている、という話。母親が飛び降り自殺したことは知らされず、劇中でも母親の遺体は全く映されなかったはずなのに、知ってか知らずか映画は序盤から落下と死に執着し続ける(あと、異様な数のナポレオンの胸像にも)。それが高低差に結びつかないのは落下と死の直接的な関係性を知らないからだろう。1992年の実業家自殺、1993年の

アラン・タネール『白い町で』ブルーノ・ガンツ、リスボンの町を歩き回る

傑作。1983年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アラン・タネール長編八作目。今回はスイス人海洋整備士ポールが、航海中に立ち寄ったリスボンに留まって、何もしないままただリスボンの街を歩き回る映画。このある種の不条理さ、リタ・アゼヴェード・ゴメス『The Sound of the Shaking Earth』を思い出した。どっちもDPがアカシオ・デ・アルメイダだったということを後から知って感動している。不条理さというと、冒頭で秒針が逆向きに進む時計が登場しており、観客の時間が正

アラン・タネール『Messidor』スイスに降り立った二人のアナーキー女神

大傑作。1979年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アラン・タネール長編六作目。試験前の休暇で都市部の家を出た学生ジャンヌとローザンヌにいる父親を尋ねるマリーは、偶然同じ道でヒッチハイクしていたことで知り合う。二人の初登場シーンから強烈だ。交通量の多い道路の騒音に悩むジャンヌは、見晴らしの良いベランダに背を向けながら旅に出る決意を語る。ローザンヌ行きの切符を無くしたマリーはそのままホームの階段を降りていく。様々な移動手段が登場する本作品の中で、後に飛行機に向けて発砲しているこ

マルコ・ベロッキオ『マルクスは待ってくれる』ベロッキオ、双子の弟に向き合う

マルコ・ベロッキオが自身の家族を撮ったドキュメンタリー。彼が29歳のときに亡くした双子の弟カミッロについて、生き残った家族たちが思い返すという内容。才能に溢れる兄ピエルジョルジョと優秀すぎる双子の兄マルコに対して、平凡なカミッロは人生を迷い続けたことが明かされる。兄妹はてんでバラバラの方向を向いてそれぞれが独立して生きていたと語られる通り、ベロッキオ家のメンバーの記憶はだいぶざっくりしていて、カミッロの当時の恋人の妹という距離感の女性が推測ではない生身のカミッロを一番覚えてい

マルコ・ベロッキオ『蝶の夢』会話を止めた舞台俳優とその家族たち

傑作。マルコ・ベロッキオ長編13作目。若き舞台俳優マッシモは14歳の頃から日常会話を拒否し、舞台上でのみ台詞を話す生活を続けていた。ある日、彼の舞台を観て感動した演出家がその事情を知り、彼の人生を舞台化するべく彼の母親に脚本執筆を依頼した。それをきっかけに、考古学者の父親、詩人の母親、物理学者の兄、愛に迷うその妻アンナはマッシモと向き合い、それぞれのアプローチで彼をどうにかして喋らせようと苦心する。しかし、マッシモは彼らには口も心も開かず、森の小屋に暮らす少女にだけ心を開いて

ニナ・メンケス『The Bloody Child』アメリカ、匿名化された女性たち

ニナ・メンケス長編四作目。『The Great Sadness of Zohara』から連なる四部作の終章。実際に起こった事件、湾岸戦争から帰還した若い海兵隊員が妻を殺してモハーベ砂漠に埋めようとして逮捕された事件に着想を得ている。映画は逮捕される前後の瞬間、海兵隊員たちが屯するビリヤードバー(男や彼を逮捕した隊員たちが通っていたかもしれない)や、森の中に呆然と座り込む全身泥まみれの女性の映像などを時間も因果もバラバラに繋ぎ反復し続ける。特に多いのは現場に続々と集まってくる海

ロルフ・デ・ヒーア『Alien Visitor』宇宙人に環境問題について説教される回

ロルフ・デ・ヒーア長編六作目。焚き火を囲んで座る老婆が二人の少女に昔話を語る。昔々、南十字星の一番暗い五つ目の星イプシロンから誤って地球に送られてきた美女異星人がいた。彼女はオーストラリアの砂漠に降り立ち、測量技師の男と出会った云々。地球は人間が環境を破壊しまくるので宇宙人に嫌われていたらしく、異星人は時空間移動能力を駆使して、ひたすら測量技師に説教を続ける。テレポート能力でひたすら背景を入れ替えながら二人で並んで歩いて、ひたすら説経するだけという謎のシーンばかりで、もはや笑