20240617
X(Twitter)で「ハイデガー」がトレンドに上がっていたので、なにごとかと検索したら現代メディアの記事がバズっているようだった。轟孝夫『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』(現代新書)からの抜粋・編集記事らしく、ハイデガーの母国ドイツの哲学界ではハイデガーがタブー視されていると彼が渡独した際の経験が書かれていた。一時でも、ナチス政権を支持してしまったハイデガーの過ちは確かに重大な問題であり、実際に戦後はハイデガーは哲学界から追放状態だった。しかし、それで言えばニーチェもナチスによって大いに有用されたわけであり、このことが事実ならば東洋の異国から見れば違和感を覚える。
一方で、実際にハイデガーと交流のあった田辺元はじめ京都学派は戦前の大東亜共栄圏の思想を支える土台となってしまった経緯がある。日本でハイデガーがもてはやされていると言いながら、実は京都学派についてはハイデガーがドイツで受けている境遇と変わりない状況になっているのではないか。西部邁や梅原猛などいわゆる保守層のインテリが鬼籍に入り、百田尚樹や有本香のようなネトウヨ的な人間が保守と呼ばれるようになってその辺の興隆が衰えたことが問題なのかもしれない。それでもハイデガーや京都学派が全体主義に飲み込まれていった歴史は忘れてはならないし、慎重になることも必要ではあろう。