20231118
米作家ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳、講談社文庫)の読書会だった。表題作ふくむ二十四篇の短編集。文庫になる前から気にはなっていたが、なかなか手に取る機会がなかったので、読書会のありがたさをこういうところでも思う。出版時からかなり話題になっていて、二〇二〇年に本屋大賞の翻訳部門で二位、第十回Twitter文学賞(海外編)で一位になっている。わたしも確かウェブで公開されていた掌編「わたしの騎手(ジョッキー)」を読んで衝撃を受けた覚えがある。まず、経歴がかなりドラマチックである。一九三六年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で北米の鉱山町を転々とし、三回の結婚と離婚を経た四人の子供を持つシングルマザーで、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手など様々な仕事に就いた。一方で生涯にわたってアルコール依存症に苦しんだ。二〇〇七年に死去。
この経歴を知らなくとも、作品には通底して彼女の人生経験に裏打ちされた世界観がある。「ドクターH.A.モイニハン」で歯医者の祖父が自分の歯を全部引っこ抜いて、入れ歯に取り換えるという、ぶっ飛び過ぎているエピソードで彼女がどういう環境で育ったのか、その痛快な内容とともに知ることができる。表題作では彼女が出会ったのであろう、掃除婦たちの――恐らく最下層に属するような境遇の女性だち――天に唾吐くような生き方に惹かれ、「いいと悪い」ではアメリカにおける政治的欺瞞と現実の貧困の現実に眩暈を覚え、「苦しみ(ドロレス)の殿堂」で、彼女が常に思考してきた「死」に向き合うことで「生」のぬくもりに心温まる。しかも、偶然にも今わたしがハマっているリディア・デイヴィスが生前に交流しており、「物語(ストーリー)こそがすべて」という作品集に向けた論考を寄せている。ここで語られるように、ルシア・ベルリンの作品には「本当のこと」が書かれている。「本当のこと」とはあったことそのままの現実というより、ここで描かれる人々に対して読者が「確かな存在感」を覚えて心動かされることだ。そこに尾ひれがつくことで物語が動くのならば、それは嘘ではなく本当のことになる。そういう確かな実例を読んだ。