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連載小説【ミックスナッツ】| EP.8 アタリ

 正直、N原がアルバイト先の塾に新人として入ってきた頃は苦手だった。同じ大学、同じ学部であることはもちろん知っていた。100人近くいる同じ学科の新入生の中でも、入学式で一際目を引いていたのが、N原だった。男の中でも頭ひとつ抜き出た背に、明るい金髪。黒く焼けた肌に、細く釣り上がった眼が印象的だった。案の定、学部でもしばらくは噂になり、集団から浮いていたようだった。うちの学部は必修科目が多いので、必然的に一人で講義を受けているのを目にしていた。
 俺は中高一貫で内部進学したから顔見知りはいたが、特に群れることもしなかった。講義が一緒であれば知り合いに声をかけて、適当に世間話をしながら講義を受ける。大学に入ったからといって、特にこれまでと変わることはない。高校生の時も、高校卒業と大学進学に備えて、自分で履修を決めて授業をとっていた。高校3年間は部活に力を注いだ。クラスメイトよりも、部活仲間と時間を過ごしたが、仲のいい友人はみんな外部進学してしまった。俺も本当は国立のトップ校を目指してしていたが落ちてしまったので、今ここにいるのだ。
 N原が俺と同じ塾にアルバイトとして勤め始めたのは、受験が本格化する前の10月だった。その頃には、暴走族のようなヤンチャな金髪から丸刈りに変わっていた。細い目は相変わらず細いままだが、少し雰囲気が柔らかい。1ヶ月の研修期間が終わる頃には、塾に通う子どもたち、特に高校生の女子からよくモテた。方言混じりで、聞き慣れないイントネーションで話すN原は、スポーツマンタイプで俺とは全く違う。大学では見かけた事はない明るく楽しそうに会話するN原は一般的な女子たちが好きなタイプだろう。コンプレックスが刺激された。嫉妬なのはわかっているが、その頃の俺は、N原が苦手だった。

「田中先生!」
 大きな地声が廊下に響く。反射的に振り向くと、いまだに高校生のような風貌で大きく手を振っているN原が立っていた。中学生の生徒にすらよく「先生に見えない」とからかわれているが、本当に同い年に思えない。身長もあるし、童顔というわけではないが、表情や行動がどこか幼いように感じる。ちゃんと話すのは今日が初めてといっていい。
「田中先生。釣りは嫌いですか。」
 空気が止まる。前から薄々気づいてはいたけど、やっぱり突拍子のない男だ。理由を聞くと、夏休みに地元に帰った際に、釣竿を持ってきたので一緒に行かないかという誘いらしい。
「えっと。釣りはしたことないし、もう夜だよ。」
 これで正式に断りを入れたつもりだったのだが、N原は比較的に近い釣り場で、最近タチウオがよく釣れてるので一緒に行こうとはっきり誘ってくる。正直、全く説明は繋がっていない。俺がもともと断るのが苦手だからと言えばそれまでだが、心のどこかでN原の誘いに乗りたい気持ちが突き動かされた。
 そういうわけで、珍しく自分に説明のつかない理由で、午前2時にも関わらず寒くて暗い突堤に二人で座っている。


 暗い水面に明るい月が波のスジを作る。一定のリズムで波がきては、電気ウキが上下にゆったりと動く。N原がいった通り有名な釣りスポットなようで、京都の有名な川辺のように一定の間隔で釣り人たちがゆったりと座っている。
 塾の近くで車を借りて、N原の家で釣り装備を準備して、大学からは少し離れた海辺にきた。何も分からず、とりあえずアウトドアチェアを広げる。手持ち無沙汰の俺のかたわらで、N原は釣竿を2本セットしている。
 「まったくしたことないんやおね?」
 N原は塾の時とは少し違うテンションで聞いてくる。
「子供の時に、針がいっぱい付いたやつはしたことあるよ。」
 N原はそうかそうかと嬉しそうに笑っている。入学式の時の印象とは180度ほど違う、穏やかでゆっくりで、安心感のある雰囲気だ。もっと騒がしいやつだと思っていたなと眠い頭で考える。
 餌の付け方を教えてもらって、竿の振り方を教えてもらって、竿を置いて、道すがら買ったバーガーの包み紙を持つ。本当に全部やってもらったなと、ホイッと差し出されたウェットティッシュを貰いながら考える。
 「なんで俺やったん?」
 素朴な疑問だった。さっきまでまともに話したことなかったのだ。むしろ、自分が同じ学部であることなど知らないと思っていたくらいに遠い存在だと思っていた。ご飯を食べながら、ひと席分ほど離れた場所に座る長身の影に問う。
 「なんでかな。話してみたいと思ってたもんで、気づいたら誘ってたかな。」
 相変わらず理由にならないな。と思ったが、不思議とストンと自分の中に染みていった。
 俺がぼーっと電気ウキの淡い黄色を見ながら携帯でゲームするかたわらで、N原は海に向かってぼーっと座っていた。途中に寝ているのかと思って声をかけると、返事はまともに返ってくる。
 「いつもは一人で釣りに来るん?成瀬さんは?」
 別に気にしてるわけではなかったが、大学ではいつも二人でいるから付き合っていると思っていたから出た質問だった。隣からはわずかな身じろぎと無言が返ってきただけだった。

 少しずつ空が白み始めた。少しずつ体温が暖められていく。
 結局、電気ウキは波の仕業で上下に規則的に動くだけで、たまに餌を変えて投げ直しをしただけで、釣り自体を特に面白いと感じることもなかった。ただ、どこか心地よい疲れで頭と気持ちにリフレッシュ感があった。
 「おい!来とるで。」
 いきなり隣から朝でも大きい声が聞こえる。パッと見ると、黄色がこれまでと違う不規則な沈みと浮きを繰り返している。隣で立ち上がる影が見える。
 「まず糸ふけをとるで、真似して。」
 N原は自分のアタリも気にせず自分の竿で実践してくれる。伸び切った糸を取るためゆっくりとリールを巻く。横で、糸のテンションが掛かるとバレるからゆっくりと静かな声で教えてくれる。その間にも、空が白んで見えづらくなった黄色は不規則に沈んでは浮く。
「タチウオは頭がいいもんで、ちょっと追わしてから、反対にガッとするとええでな。」
 N原は、よくわからない事を言いながら、ゆっくりと右に竿を動かして、いきなり左に行き良いよく引っ張る動作をする。正直あまり想像がつかないが、とりあえずゆっくり右に動かすと、糸を通して何かがコツコツと突く感覚がした。大丈夫。追ってきているなと少しずつ右に動かしてながら思った瞬間、ガッと今までとは違う重い衝撃が走る。思わず竿をグッと上に引っ張り上げてしまい、スッと重さが剥がれてしまった。思わず肩を落とす。
 「お。外れた?」
 横で残念そうな声が聞こえ、小さく肯定する。
 「今、集団来とるかもしれんから、はやく投げよ。」
 二人ともすぐに餌をつけ、投げ直し。それを繰り返す。何度かアタリはあったものの、最初の衝撃のようなものはなく、朝の時間になった。

 「なあ。俺と成瀬って付き合ってるように見えるん?」
 アタリがなくなった。気づけば、普段であれば起きる時間帯になっていた。大方の片付けが済んだあたりで、後ろから真面目な声が聞こえてきた。ああ、聞いてはいけない事だったんだなと理解したのは、その瞬間だった。
 「ごめん。本当に何も考えてなくて、軽い気持ちで聞いただけなんだ。」
 「そっか。いや、ええんやけどな。自分でも分からんからなんも言えんな。」

 微妙に気まずくて、どう返そうかという頭を走らせたが、またしてもひどい睡魔が来ていてうまく返せなかった。何か面白いことを返してしまったのか、N原は一人でニタニタ笑っている。
 「帰ろかー」
 変わらず朝から大きな声が響く。
 これが体力の差かと思いながら、助手席に乗り込んだ。

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