自然による注意資源の回復
「注意力」は有限の資源
私たちの注意力や集中力は、体力と同様、限りがあることを示しているのが、「注意資源」という考え方です。集中してプレゼン資料を作成している時に、新入社員にパソコンの基本的な操作について聞かれたので、教えてあげていたら、取引先の部長から電話がかかってきて、慌ててパソコンの資料を探していると、作りかけのプレゼン資料を保存せずに閉じてしまった、という状況を考えてみてください。せっかくプレゼン資料の作成に全神経を集中させ、注意資源をそこに振り向けていたのに、注意は散漫になり、再び集中モードに戻るには、少し時間がかかることでしょう。これが注意資源を消耗したわかりやすい例です。この例で、プレゼン資料の作成に振り向けていた注意や、パソコンの資料を探していたときの注意、つまり、1つの方向にだけ向ける注意のことを、「方向性注意(Directed Attention)」といいます。
仕事では、この方向性注意がとても重要になることは容易に想像がつくと思います。重要な会議で使うプレゼン資料で、細かい言い回しやビジネス計画の数値のチェックをするときは、この方向性注意が全開になっているはずです。しかし、冒頭で述べたように、私たちの注意資源は有限です。ずっと方向性注意を振り向けていると、あっという間に消耗してしまいます。せいぜい90分ほどが限界という研究結果もあります。では、注意資源を使い切ってしまったときはどうすればいいのでしょうか。
選択性注意と注意資源の回復
米ミシガン大学の心理学者スティーブン・カプラン博士らは、植物を中心とした自然環境には精神的な疲労を軽減する効果があるという「注意回復理論(Attention Restoration Theory)」を提唱しました。カプラン博士らの実験では、2つに分けたグループの片方には「植物園」を、もう一方のグループには交通量の多い「繁華街」を、50分程度、歩いてもらいました。その前後で、参加者全員、注意力を測定するDigit Spanタスク(読み上げられた3~9桁の数字を逆順に復唱する)を行いました。例えば、「36789」という数字が読み上げられたら、「98763」と復唱できれば正解となります。このタスクでは、方向性注意と短期記憶(ワーキングメモリー)の役割が重要になります。
実験の結果、植物園を歩いたグループは、注意力テストのスコア、つまり、方向性注意が、約20%向上しました。一方、繁華街を歩いたグループは、約6%の向上に留まりました。繁華街を歩くときは、車や自転車など、特定の対象に細心の注意を払う必要があるため、方向性注意を消耗します。一方、植物園のような自然の中を歩くときは、植物の様子や虫の鳴き声、川のせせらぎなど、様々な対象に五感を使って、意図せずに注意を払いますが、これを「選択性注意」(または、不随意的注意)といいます。この実験では、自然の中を歩くことで、選択性注意が高まり、それによって、注意力を測定するテストで必要な方向性注意が回復したと考えられています。もし、仕事で注意資源(方向性注意)を消耗してしまった時は、近くの公園や緑の木々のある場所を少し歩いてみると、注意資源が回復し、再び高い集中力で仕事に取り組めることでしょう。
自然に触れ合う時間も場所もない時は・・・
もし、オフィス近くにそのような良い自然環境がない場合は、自然の動画をパソコン画面に映して、しばらく眺めるだけでも、注意資源の回復効果があることが、ノルウェーのベルゲン大学健康増進研究センターのカリン・ラウマン博士らの研究で示唆されました。この研究では、28人の参加者を、ノルウェーの自然のビデオを20分間視聴するグループと、都市部のビデオを20分間視聴するグループに分け、ビデオ視聴前後に、注意力を測定する課題を実施し、その間中の心拍数や自律神経の活動を測定しました。
結果は、ノルウェーの自然のビデオを視聴したグループは、都市部のビデオを視聴したグループよりも、心拍数が大きく低下し、自律神経の興奮が低下(副交感神経活動が活性化)しました。また、それに伴って、選択性注意が向上し、1つの対象ではなく、いろいろな対象に対して、注意を向けることができるようになりました。
この研究から、必ずしも、実際の自然環境に身を置かなくても、時間や場所の制約がある時は、動画だけでも十分に注意資源の回復効果が得られることがわかりましたので、これなら忙しいビジネスパーソンにも実践できるのではないでしょうか。普段からパソコンやスマホに、良さそうな自然動画をブックマークしておくといいかもしれません。