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特殊職(スペシャルジョブ)
こんにちは。正月早々生チョコを食べすぎたものの、鼻血は出さずに済んでおり安堵しているけんちじです。
#かなえたい夢 という投稿企画があったので、今日も記事を書きたいと思います〜。書くのが楽しくて、調子に乗ってきました!イエッ!!!
幼少の頃の夢
まずは昔話から。
幼稚園に通っているとき、私の最初の夢は「パンやさん」でした。
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この夢をもったきっかけは、当時放送していたアニメ「ポケットモンスター(無印)」の第41話『おきろ!カビゴン!』です。確かこの放送回だったと思います。
簡単にあらすじを説明すると、「主人公のサトシ達一行がたどり着いた村は食糧不足で困っていた。その原因は、カビゴンが川の水源を塞いでいたためで……。」というような話です。
この話にとあるモブキャラのパン屋さんが登場します。パン屋は尋ねてきたサトシたちに対して、(メチャクチャうろ覚えですが)すんごい困り顔で「パンがないんだよぉ〜(ため息)」みたいなことを言ってた気がします。私の幼少の記憶なので、完全に妄想のセリフだったらごめんなさい。なんかそんなだった気が!そんな気がするんです!!確かそんなこと言ってた!!言ってたよなァ!?……(返事待ち)
セリフの真偽はともかくとして、当時私はその「食糧不足でパンがなくて、なんかすごいたいへんそうなパン屋のおじさんの困り顔」に惹かれてパン屋さんになりたいと思いました。
別にパンが好きというわけでも、パン屋の業務内容に興味があったわけでもなければ、アニメの中のパン屋おじさんにカッコいい見せ場のシーンがあったわけでもありません。ほんの一瞬出てきて、ただ困り顔を披露してただけでした。
でも当時の私はそれで「パンやいいじゃん」と思ったんですね。子どもってマジ不可解だね。
ちなみに卒園文集を書く頃になると、私の夢は「かしゅ(歌手)」に変わってました。切り替えが早いです。しかし、先に書いた通り私は特別パンが好きとかは思ってなかったので、この切り替えの早さは妥当ですわ。
当時私に夢をくれたパン屋のモブおじさん、ありがとう。ムシャ…ムシャ…(ポケモンパンを貪り食いながら)
10歳の頃の夢
10歳の頃、学校で「二分の一成人式」とかいうので、「将来の夢」についての作文を書かされました。このときの私の夢は、「漫画家になること」でした。
……というのは、正直なところ当時の自分なりの「外向き表明用」でした。実際のところは、当時具体的な夢が大してありませんでした。でも、作文を書かなきゃならないというので、「強いて言うなら漫画家かのぅ〜??」てなカンジで、急ごしらえで書いたヤツですコレ。
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この画像は作文の一部です。ピンクの線を引きましたが、これは今の私が気に入ってる箇所です。
なんていうか今の私からしても、文言がものすごく私っぽいからです。その日暮らしで、曖昧さを愛しているようなところ。あえて決め打ちしようとしないところ。成り行き任せで、その結果失敗しようと簡単にOK出しちゃいそうなところ。
ちなみに、「漫画家」という夢は半分くらいは叶ってるなぁ〜と思います。二次創作漫画を描いたりする趣味があるためです。これには10歳の私もニッコリであろう。
未来への気遣い
私の当時の「夢に対する曖昧さ」というのは、当時から自分の性格をよくわかっていたからなんだよね。
というのも、一つのことに一気にのめり込むけれど、燃焼し尽くしたら急にすべて放り投げる……いわゆる、「熱しやすく冷めやすい」性格ゆえなんです。
将来の夢なんてそのとき真剣にしたためたところで、すぐに興味が移ろってしまうんだから、大人になった後から読み直したときに夢が叶えられていなくて「自分は夢に破れた」と思いたくなかったんだと思うんです。「未来の自分がどんな道を歩んでいたとしてもそれでOKだよ」って言ってあげるために、そういう曖昧さの予防線をはっておいてくれたんですね。10歳の私は。その自信のなさが、優しさが、愛おしいわね……。
10代の頃からの、「夢」への疑問
なんで大人って、子どもにそんなに「夢」を語らせたがるんだろう?
私は昔、よく思っていました。
なんで大人って、子どもにそんなに「夢」を語らせたがるんだろう?って。
子どもの私からすれば、今が楽しけりゃそれでよかったんです。「今楽しいんだから、先のことなんて別によくない?」って感じでした。私にとっては、将来とかいう漠然としたものにはホント興味がなくて、帰って家でポケモンをやることしか考えてませんでした。私だけじゃないよね?
私は今、当たり前のように大人になって、当たり前のように過去を思ったり、未来に思いを馳せたりするけれど、「過去-現在-未来」という時間の経過にこれほど関心があるのは、私が大人だからです。今も私が子どもだったら、こういった時間感覚には今も興味がないでしょう。
私は、私たちは、生きているうちに何か変わってしまったと思うんです。
でも、現在の大人である私たちが染まり切ったそれも、根の方を辿れば「夢なんか語れなかった時代の大人たちが、子供達に託したがったもの」なのではなかろうか?と。
子どもたちに夢を語らせることは、「これからは今よりもっと、なんでも叶えていける世の中になる」っていう、動乱の世を生き抜いた、かつての大人たちの祈りがこもっているように思います。
まだ誰も通っていない将来は、ないか
高校生とかになると、進学先を選ぶにあたって「こういう職業があるよ、この仕事に就くにはこんな資格が必要だよ、こういう学科を選ぶといいよ」みたいな情報が書いてある、「職業大全集」のような冊子をもらったことがありました。
こういう冊子は読んでると楽しいです。結構ワクワクします。当時は「この職業に就いた自分はどうだろう?」みたいに想像するのも好きでした。ただ、私にとって「コレだ!!」となる理想にぴったんこカンカンな職業は、こういう情報誌からはいくら探しても見つかりませんでした。
「難しそ〜」「大変そ〜」「倍率やばそ〜」「休み少なそ〜」みたいなんばっかりでした。自分の理想を既存の職業の型にはめようとすると、どれも枠に合わず、そこに無理やり自分を押し込んだ暁には「イデデ!!イデデ!!もう無理!!骨折れる!!」と叫び出すことは容易に想像できました。
ちなみにその後社会人になった私は、きっと骨が折れるだろうとわかっていたのですが、実際に一般OL女性の型に自分を押し込んで骨折りました。だから言ったじゃん!!!だから言ったじゃん!!!
や、だ、だってェ、やってみたら意外といけるかもとか思ったんだよォ……
そして私は疑問に思います。なんで職業って既存の中から選ぶのが当たり前なんだろう?
ほんっと〜に自由に選んでいいんなら、おのれの裁量でキラッキラッにデコりまくった、世界に一つだけの特殊職(スペシャルジョブ)になりてえよ、アタイは。一人として同じ存在が存在しない、そんな存在によ。(存在の押し売り)
いいなぁ〜、ハッピーメディアクリエイター。こんなんがいいな。私の将来。
唯一無二の自分に、ぴったりの称号を自分で付けてあげたいよね。外から賜るのもいいけどさ。「まだ誰も通っていない道は、ないか。」よな。かっけぇ〜。
今は何者でなくてもいい
ハッピーメディアクリエイターは、許斐先生がハッピーなメディアを作り続けたからこそ名乗れた称号なんですよ。
ハッピーメディアクリエイターに、俺はなる!ドン!してなったわけではなく、己のハッピーなクリエイションに集中し続けた果てに、気づいたらハッピーメディアクリエイターになっていたと、おそらくそういうことだと思います。
基本的に多くの場合、将来の夢を語るときは「自分が何者になるか」をある職業名に当てはめ、そこから詳細な内容について深く掘り下げてゆくのがスタンダードかと思います。
しかし、私としては10歳の頃と何ら変わることなく、「やりたいことを好きなようにやっていきゃいいじゃん」と思っております。自分は何者でもなくて、既存の「職」に定義されるどこにも居場所がなくて、どの型にもはまれず、何者にもなれなくて、そんな自分で……それでいいじゃん!
やりたいことを自由に突き詰めた先に、やっと「私はこういう者です」と名乗れる固有の称号、すなわち「特殊職(スペシャルジョブ)」が見えてくるでしょうから。そう、ハッピーメディアクリエイターのように。
なんか、そんなふうに思っとります。