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写真がなくてスミマセン 那須地方と「奥の細道」
那須地方と「奥の細道」について思い出し書き、です(拙ホームページより引用再編)。
那須地方は、関東の北の端に位置し、北隣は東北(福島県)です。
東北と関東を分けている場所のうちの一つが、芭蕉も訪れた、という、「白河の関」です。
※曽良「卯の花をかざしに
関の晴れ着かな」
白河の関を経る旅であった「奥の細道」では、栃木県内を現在の栃木市や日光市、那須地方などに足跡が見えます。
中でも那須地方の黒羽(現在の那須郡黒羽町)は、芭蕉が最も長く逗留したところだそうです。
那須地方で、芭蕉が訪れた歌枕で、おすすめのポイントは、遊行柳(ゆぎょうやなぎ)(那須郡那須町芦野)。白河の関に向かう道沿いの小さな場所ですが、西行も歌に詠んだという、不思議な雰囲気の漂うところです。
※西行「道の辺に清水流るる柳陰
しばしとてこそ
立ち止まりつれ」
※芭蕉「田一枚植えて
立ち去る柳かな」
※西行故事を題材にした、
謡曲もあるそうです
※大阪 河南町による西行生涯紹介
※栃木県観光物産協会さんによる、
芭蕉足跡関連の情報
近くの山中にある、芦野温泉は、地元の人によると、よく効く温泉だそうです(テニスもできるので、テニス合宿にも向く?)。
※那須町のサイトを拝見すると
名所紹介は、
観光協会のサイトへの誘導、
のようです
遊行柳はじめ、
よいところがいろいろ紹介されてます
※話題の栃木県を、あらためて応援。。。
※下記、自身のnote 別記事から引用です。
とある年の小年の日に感じたこと、です。
旧暦2008年の小年の日(太陽暦2009年初め)の夜、中国吉林、knasadaは散髪を終えて歩いていました。街の角々ではたくさんの送り火が燃やされておりました。この風景、どこかでみたことあるように感じました。街角、目に浮かぶ火から思い巡らしてみると。。。2000年前後の頃の8月盆のさなか・・・白河から那須を通って宇都宮の自宅に戻る道の途中、のことでした。道沿い、ある集落、あちこちの軒先で小さな焚き火をしている様子、どうやら、送り火のようです(そういうと盆の送り火、大きい行事も各地にありますね)。こんな風習が残っている地域があるんだなぁ、と知ることができたその地はおそらく、白河の関跡の少し南側、白河だったか伊王野の手前だったか、と思います。
白河から伊王野近辺といえば、
芭蕉が奥の細道で
歌枕などを訪ねていった道筋
(伊王野近辺の歌枕は遊行柳)
小年のその日、その地は中国吉林でしたが、街角の送り火の中にいて、頭の中では那須近辺のあちこちの風景が浮かび、中国東北の冬と日本の東北南部から関東北部の風景が頭の中で結びついた、不思議な夜でした。
駄句をおひとつ。。。
xiaonian(小年)の火
細道 歌枕 消え。。浮かび。。。
(大意: 旧正月前の
道端で燃える火を
見ていたら
あの日、
between歌枕and歌枕の
道の光景と
軒先送り火が重なって
入れ替わり消えたり浮かんだり
そして目前の異国の火に
引き戻された)
※当時の記録から文を再編、
駄句は、再推敲しました
句の原文
「xiaonian(小年)の火
浮かび来し 伊王野 歌まくら」