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12月の風習 小年 (中国東北地方 吉林にて)
12月になりました。昨今の状況、例年とは違う年末の活動となっているのが近年未聞の事態ですが、新年を迎える準備いろいろをすすめる時期ですね。
太陽暦での年中行事が定着している我が国、旧暦のころの風習と違ってきていることもあるかもしれません。
12月、新年に向けての風習、年末挨拶(今年は外回り自粛気味で寂しい気が。。。)、お歳暮、こよみ配り(新しい風習?)、易の暦入手、年賀状準備と発送、大掃除、お飾り、餅の準備(餅つき、と言いたいところです)、おせち料理の準備、初詣の準備、年末年始の休みの過ごし方準備、などなど、あります。
これらを太陽暦に沿ってすすめているのが大部分かと思います(一方、夏冬などに旧暦行事も各地で目にするので興味深いです)。
knasadaが中国東北地方に住んでいた2008年前後、旧暦での行事、風習を知ることができましたが、その中に、新年を迎える前の「小年」という日と、その風習がありました。
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「小年(小さい正月?)」
小年、というのが何かわからず、職場の方々に尋ねると、小さい正月だ、というような説明をしてくれました。旧正月行事の始まりを告げる日、とのことで、
餃子を食べたり、
街角で送り火燃やしたり、
(色のついた紙のおかねを
家の近くの
交差点で燃やしてました)
の風習を当時見かけました。正月の準備を始める日という位置付けのようですが、周囲の方々に聞いても、これとこれをやる、という確たるものはよく見えないまま、ではありました。中国のサイト、なんとか百科さん(新年の準備の一つとして、掃除、も書かれてます)を読んでみると、北方と南方で、小年の日の大勢は1日程度ずれがあるそうで、knasadaが住んでいた北方では旧暦12月23日が小年だったそうです。
ここからは脱線して、とある年の小年の日に感じたこと、です。
旧暦2008年の小年の日(太陽暦2009年初め)の夜、中国吉林、knasadaは散髪を終えて歩いていました。街の角々ではたくさんの送り火が燃やされておりました。この風景、どこかでみたことあるように感じました。街角、目に浮かぶ火から思い巡らしてみると。。。2000年前後の頃の8月盆のさなか・・・白河から那須を通って宇都宮の自宅に戻る道の途中、のことでした。道沿い、ある集落、あちこちの軒先で小さな焚き火をしている様子、どうやら、送り火のようです(そういうと盆の送り火、大きい行事も各地にありますね)。こんな風習が残っている地域があるんだなぁ、と知ることができたその地はおそらく、白河の関跡の少し南側、白河だったか伊王野の手前だったか、と思います。
白河から伊王野近辺といえば、
芭蕉が奥の細道で
歌枕などを訪ねていった道筋
(伊王野近辺の歌枕は遊行柳)
小年のその日、その地は中国吉林でしたが、街角の送り火の中にいて、頭の中では那須近辺のあちこちの風景が浮かび、中国東北の冬と日本の東北南部から関東北部の風景が頭の中で結びついた、不思議な夜でした。
駄句をおひとつ。。。
xiaonian(小年)の火
細道 歌枕 消え。。浮かび。。。
(大意: 旧正月前の
道端で燃える火を
見ていたら
あの日、
between歌枕and歌枕の
道の光景と
軒先送り火が重なって
入れ替わり消えたり浮かんだり
そして目前の異国の火に
引き戻された)
※当時の記録から文を再編、
駄句は、再推敲しました
句の原文
「xiaonian(小年)の火
浮かび来し 伊王野 歌まくら」
写真は某年の小年の頃、
吉林松花江沿いではなく、
長江中流某所です