自分を"正しく"愛し始めた日(後編)
こんにちは、Kinacoです❣️
前回のnoteは、こじらせが加速した末、彼にかまって欲しいがゆえに「LINEの送信削除をする」奇行に走ったところで終わりました。
実はこの削除の後、私の想いとは裏腹に(?)、彼からは何のアクションもありませんでした。こじらせKinaco、あえなく撃沈。
過去には“自然体で愛される”恋愛をするまでに成長した私でしたが。セルフラブを数ヶ月サボってしまったら、こじらせがパワーアップして返ってきていたんですね。
がんばってつけた筋肉が、筋トレをサボった途端に脂肪に変わってしまう、みたいなことでしょうか。
さて、後編ではついに。こじらせ女子の秘技を繰り出し始めますー
こじらせ女子の秘技「正解探し」…..からのプツン
LINE削除事件のあと、彼とのデート頻度はめっきり減ってしまいました。彼から誘いはないし、私からも誘う勇気が出なかった。
彼との接点が減り、興味も半減する……と思いきや逆に、彼について考える時間が増えていきます。そして私はついに、こじらせ女子の秘技「正解探し」を始めますー。
つまり、自分と向き合うだけでは感情を持て余すようになり、外側に答えや癒しを求め始めたのです。
ある時は、心理学系のnoteを読み漁り。“無価値感”や”親密感への怖れ”といったキーワードに出会っては「この状況の原因はこれかもしれない……!?」と自分に当てはめてみたり。思い込みを変えようとワークに励んだり。
ある時は「彼のあの行動の意味は何だろう?」「あの時のあの言葉は好きなんか、そうでもないんか……!?」とネット検索を始めたり。
またある時は、占いにハマって「彼とうまくいくにはどうしたらいいんでしょうか……」と相談し始めたり。(圧倒的デジャヴ)
それでも感情がおさまらなかった時は、海辺のAirbnbを借りて、ひとり逃避行。水平線に沈む夕日に、癒されに行ったこともありました。
とにかく、一刻も早く、自分を変えなきゃと必死。
私の問題は何なのか。私が私を愛して、彼から愛されるためにはどうすればいいのか。そんなことを考えて、解決策を探していました。
その間にもね。彼とはシェアハウス内で会ったり、本当にたまに2人で出かけたりしていました。そして、出かけるたびに「今日も気まずかった……合わないのかな……でも好きかも……」と落ち込んだり、執着をさらに強めたり。もう、自分がなにを求めているのかもわからない状態です。
もはや楽しくもないのに想い続けてしまうのは、「私は愛されなければならない」という強迫観念ゆえだったと思います。
そして、最初のデートから3ヶ月が経ち、夏も終わりかけた頃。
アウトドア派な彼がずーっと前に提案してくれた、山登りデートの日が近づいていました。
私としては「大自然に行けばリラックスして自然体でいられるかな?」「そしたら、もっと打ち解けられるかな?」と期待していたデートです。
ところが、早朝に家を出発しなきゃいけないはずなのに、前日になってもまだ何も決まっていません。待ち合わせ時間さえ決まってない状況に、私はザワザワし始めます。
さすがに決めないといけない時間になり、連絡したところ……またザワザワ。そこに彼からLINEの通知が。ドキドキしながら開くと……表示されていたのは「仕事が入ってしまった」の文字でした。ドッドタキャン!!
(プツン)
ここまで、たっくさん執着していた私でしたが、楽しみにしていたデートのドタキャンを受けて、さすがに集中の糸がプツンと切れました。
執着することに疲れてしまったんですね。
いい子ちゃんでない自分の本音と出会う
とはいえ、気持ちはぐちゃぐちゃです。
(ドタキャンはムカつくけど、気まずい思いはしなくて済む。だけど、やっぱり私は愛されてなかったんだ……私がだめ人間だからだ悲しい悲しい悲しい)
おもむろにノートを取り出し、思い浮かぶままに気持ちを書き始めます。
(苦しい苦しいしんどいもうだめ。恋愛がうまくいかなくて苦しい。私だって愛されたい。愛を循環させたい)
嘆きの言葉をたくさん書いた後に。せめて私だけは私を愛そうと「世界でいちばん大切だからね」と自分に声をかけたーその時。
(本心から言えてないじゃん)
唐突に、もう1人の自分が話し始めました。
(うそつき。私のことそんな風に思ってないくせに。口ばっかり!!)
スピリチュアルちっくなのですが、私の思考とは別のところから言葉が溢れ出してきたのです。
(どうして私のことだけ見てくれないの?どうして向き合ってくれないの?もう他人のこと見るのやめてよ!他人のこと気にするのはやめてよ!いちばん大切なのは私でしょ!)
そんな子どもじみた言葉たちが、自分から溢れ出てくるんです。彼に対しての気持ちを書いていたはずなのに、書き出すほどに自分が自分に対して言ってるってわかる。
私はそれまで、物事の“いい側面”を見ようとして、精神的に成熟した“いい人”であろうとして、自分の本音に無意識にフタをしていたんだと気づきました。
「愛されたい」って思うのは、欠乏感があるからだ。その欠乏感をうめなきゃ。そのためには、今ある感謝を見なきゃ。豊かさを見なきゃ。
そんな風に“いい方向”に向かおうとして、その方針に当てはまらない自分の気持ちは無視していた。
だから、「自分を受け入れて愛する気持ち」が表面的にとどまって、すぐに崩れてしまうものになっていたんだ、と気づいたのです。
本当に大切なのは、崇高な自分でいることでも、ポジティブな自分でいることでもなく。ネガティブに思えるような自分の本音まで受け入れて、向き合ったり叶えてあげることだったのに。
自己肯定の、その前に、自己受容
ドタキャンのあと、彼と出かけることはなくなりました。
代わりに、シェアハウスで新たに出会った外国人たちと仲良くなり、また心地よく自然体でいられる、楽しい人間関係を取り戻したのです。
3ヶ月ほど、彼のこと自分のことで頭がいっぱいで、自分の気持ちさえよくわからなくなっていた私でしたが……「自分が自分であること」「自分を大切にすること」が当たり前の、彼らとの時間にはすごく癒されました。
それでも、みんなで集まる時に彼とばったり出くわすと、まだまだ心は揺れます。そんな時に気持ちを書き出すと、前より黒い本音が出てくるのです。
「私をないがしろにして許せない」とか「不幸になればいい」とか「調子乗りやがって大嫌い」とか。笑
最初はね「こんな風に考えちゃう私、出会いたくなかった……」と思っていました。だって、自分のことは“優しくて愛に溢れた人”だと思っていたいじゃないですか。自分のこと好きでいたいからね。
だけどこういう気持ちって、きちんと認めてあげれば長続きするものでもなく。何度か書き出せば、落ち着いてきます。そしてこういう本音に出くわすほど、自分のことがちょっと面白くなってくるのです。
他人とのパートナーシップでもそうですよね。
好きなところだけじゃなくて、嫌なところまで人間らしいと思えるか。
この人の弱み、暗い部分、闇みたいな部分、人間らしくて最高だなって。そこも含めて大好きだなって思えるか。
私が過去最高だったと思えるパートナーシップには、そこまで含めて大好きと言える感覚がありました。
なので、自分自身にも同じような声掛けをしてあげたいと思います!
自分の好きや才能など“光”を盛り立てていくのは、素晴らしいことだけど。
その裏面にある、嫌いや偏屈な部分など“闇”も直視して、受け入れられたら最強。
思いっきり無様に執着して苦しんだこじらせ恋愛を通して、そんな気づきが生まれました。笑
こうして、私は自己受容のレベルが、自分を愛するレベルが1段階上がったのでした〜!
少しでも参考になったら嬉しいです。ここまで読んでくださり、ありがとうございました♡