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天才の定義-20歳が考える-

こんにちは、プロサッカー選手を目指しているKokiです!今はアメリカのイリノイ州で次シーズンの調整をしております。

今年からしばらく、僕が唯一天才と考えている友人と少しばかり離れることとなりました。YouTubeで本田圭介選手や長友佑都選手、遠藤保仁選手らが天才について話し合っているのを見て、僕にとっての天才の定義とはどのようなものだろうと考えてみたので面白かったらぜひ、スキをお願いします。ちなみにアメリカの大学は日本の学校よりもカリキュラムを組む自由性が高いので機会があれば人の考え方を研究するPhylosophy や Phychologyも学んでみたいなあと考えています。

天才と才能の定義

みなさんは自分の才能ってご存知ですか?僕にはサッカーの才能が。。。残念ながらありません。何を持って才能があるかないかを判断しているのか。

それは無意識的行動(感覚)か意識的行動かの違いです。例えば、ボールを蹴ったことない子にリフティングのやり方を教えます。その子は今までやったこともないのに、人並み以上にリフティングができてしまいます。「どうしてそんなにできるの?」と聞くと「わからないけど感覚で」と答えます。この子はリフティングに関して天才だと僕は定義します。一方でいくら回数がその子よりできたとしても、練習を重ねて少しづつできるようになった僕は天才ではありません。

僕の友人にも同じようなことがありました。ある日の練習で彼は難しい状況から数人をドリブルで抜き去り、角度のないところからゴールを決めます。監督はその子に対して、「ナイスプレーだ。狙ってたのか?」と尋ねると、「いや、よくわからないけど体が勝手に動きました。」と答えました。この子こそ僕が今までサッカーをしていた中で唯一天才だと感じた選手でした。サッカー選手はよく、努力を積み重ねて今ある技術を無意識にできるようにします。例えばインサイドキックをしっかり芯を捉えて蹴ることやボールコントロールを自分がプレーしやすいように正確にできるように何度も何度も練習して無意識のレベルを目指します。この、努力が勝ち取った無意識と僕の友人の無意識には違いがあることにお気づきでしょうか。

友人の無意識はプレー中の瞬間によって生まれたものです。言い換えると同じシーンは二度と出てこないので練習のしようがありません。無意識なプレーは判断を必要としません。サッカーには判断をする間もない一瞬、コンマ何秒が勝ち負けに関わることがよくあります。私にとって無意識なプレーができる選手、しかも練習して身に付けることができないプレー中に無意識なプレーができる人がサッカーの中の天才、才能がある選手ではないかと考えます。


天才≠限られた人

では才能を持った人とは一握りの人なのでしょうか。私はそうは思いません。ただ、その人が持っている才能とその人の人生が一致しているとは限りません。と言うのも誰もが何かしらの才能を持って生まれると私は考えます。例えば僕は現在、サッカーをしていますが、実は書道や囲碁など他の種目の才能を持っているかもしれません。才能を持っていてもその才能を十分に発揮する環境、あるいは競技、仕事に出会わなければ世間的には出てきませんし、評価もされない隠れた才能ということになります。したがって、私の結論としては才能は誰にでも何かしらのものはあるが、その人がその才能と出会えてこそ天才(一般的な意味)と呼ばれるレベルになる。ことであってその確率はものすごく小さいことから才能を持ち合わせていない僕らにもチャンスがある。ということです。

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