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”こなす” ことに慣れていないか?
今、“信頼してる友達たちがSNSで「よかった」と言っていた” という理由だけで買った『ニュータイプの時代』という本を読んでいるのですが、
素直に言うと「とても勉強になる本だな」と思いながら、意地を張ると「自分でも感じていたことがきちんと言語化されている本だな」と思いながら読んでいます。
書き方も刺激的にしてくれていて、飽きることなく楽しく読めます。
(クオリティがあることは前提として、”読みやすいこと” も大切だよなあ...とも思っています)
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今読んでいるところにこんな記載があって、これがなかなか深いところに刺さっています。
“モノが溢れている現代では、「◯◯したい」という意思が大切だよ。無難なことやってると規模の暴力に負けるからこれからは尖った何かが必要で、そこには「〇〇したい」という思いを持って突き詰めなきゃ辿り着けないよ。”
前職でワタシはプラントのプロジェクトマネジメントをするチームにいたのですが、いつも扱う各機器について ”これで何ができるのか” を聞いては「お前はプラントをどうしたいんだ」と怒られておりまして、
最初は「できないことを言っても仕方ないし、できることの中でベストを尽くすしかないじゃない!その方が早いじゃない!」と思っていたのです。
今となっては、凌ぐだけじゃ今以上のもの(価値があるもの)は生み出せないし、成長も無いし、誰でもできるよな、とか、
”こうしたい” というところから考えるのが本質だよな、ということは理解しているつもりです。
もちろん緊急時には早く多くこなす力も必要なんだけど、あくまでもそれは緊急用。
後にその仕事では “こうしたい!” というものがないと改めて思ったため転職をすることとなったわけですが、やっぱり ”〇〇したい” という思いが行動の理由になるべきだよなあ...と改めて考えるきっかけをくれました。
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また、今日、小説と啓発本は同じ読み方をしてはいけないんだな、ということに気付きました。
いつも読むのは小説ばかりで、できる限り短い時間で一気に、という読み方をしていたのですが、最近啓発本を読むようになってこれは小説向きの読み方なんだな、と。
小説は流れに任せてだーっと読んだ方が入ってくるし、時間空くと忘れてしまうので啓発本でもそうしていたのですが、
めちゃくちゃためになったと思っていたはずなのに、頭に全然残っていないのでは?ということが続いていて、どうにかしたいと思っていたのですが、多分これが原因です。
小説は内容を実生活に応用しようとは思ってないから感情が動くギリギリの速さで読んでいるけど(それはそれでどうなの)、それだと情報を知恵にするための時間がないというか、知恵にするための作業をしていないというか、
得た情報を理解して、当事者意識を持って考えて吸収していく、ということができていないので、
頭に引っかかることが出てくるたびに時間取った方がいいんじゃないかな、と思っています。
教えてもらいながらやったことはその場では早く終わるけど応用ができなかったりして、結局時間はかかっても自力でやった方が長い目で見ると自分のためになる、
みたいなことがあると思っているのですが、これも似た状況ですね。
(もちろんそれはそれで良いこともあるんだけど、それはまた別の話)
だから、啓発本を小説のスピードで読んでいると「わかる!」と感情が動きはするのでわかったつもりになるんだけど、それだけになってしまっているんだろうな、と。
なのでこれからは、引っかかったフレーズやシーンがあったらその都度ケーススタディ的なことをしてみようかな、と思っています。
読み終わるまでの時間は増えるけど、実生活に活かせればすぐペイできるだろうし。というかそうしないと意味ないし。