看護師になった理由
数日間が空いてしまいました。
実は色んなことがあって家出をしたんです。
それもまた自分の気持ちを整理する時に書けたらなと思います。
田舎で中学生だった当時、初めて進路を自分で決めるということがやってくる。
田舎は高校が少ない、よって選択肢もあまり多くなかった。
私は三姉弟の長女で、実家は貧しくはないけどとても裕福でもなかった。
幼稚園、小学校、中学校となにも決めなくても通うことが決まっていて、そこには何も考えなかった、当たり前だった。
しかし、高校受験は違う。これからどんなことを学びたいか、自分で決める、という行為をしないといけなかった。
当時は普通に進学校に進学しようと思っていた。
漠然と自由な大学生活に憧れていたし…
当然担任も勧めた。私立高の特進コースでもいいんじゃないかとも言われた。
勉強は嫌いでなかったし、切磋琢磨できる友人に囲まれていた。その友達も進学校に行くと言っていた。
しかし、実家は貧しくはないけどとても裕福でもなかった。
家計が苦しいとつぶやく母の姿を見て、
手に職をつけて自立した方がいいと思った。
看護師のお母さんを持つ同級生は裕福に見えた。
大学生の自分にも憧れたけど、早く自立した方がいいだろうと思った。
もちろん家計のためだけが理由ではなく、当時、コードブルーが流行っていて、チーム・バチスタの栄光がこのミステリーがすごい!大賞を取ったあとくらいで、医療、というものに漠然と憧れがあったのも理由だった。
幸いなことに、自宅から通える圏内に、地方唯一の県立五年一貫看護師育成校があったのも理由である。
学校見学も行って、普通ではないちょっと特別な学校生活(看護の勉強とか普通科ではできないようなこと)にも興味が湧いて、進学を決めた。
担任は止めた。看護師は大学を卒業してもなれる。中学で進路を決めるのではなく、大学から改めて看護師を目指してもいい。
大卒をとっていた方が有利だよ、と。
今ならその言葉の意味がわかるけれど、きっと当時の私がそれを知っていても五年一貫校を選んだんじゃないかと思う。
五年一貫校は1クラスしかなく(私の学校の場合)
5年間一切クラス替えがない。
普通科に比べて撮る単位数も多かったし、高校2年から病院で実習があった。
多感な時期にクラス替えもなく、女子が多かったため、そりゃあ色んなことがあったな。
グループをつくっては喧嘩したり、仲間はずれになったり…本当に色んなことがあった。
実習病院もかなり厳しくて何度も泣かされたし、過呼吸にもなった。
看護師なんて医者の言うこと聞くだけでなんもできないじゃんか、決める権利ないじゃんか、早く進路を決めすぎた、医者になればよかった。看護師なんかなんもできん!とも思った。
別の高校行った小学校は仲のいい友達は高校でも仲のいい友達を見つけて楽しそうに過ごしてたから、同時に人間関係も勉強も上手くいかない自分寂しくもなったりした。
本当に紆余曲折、たくさん色んなことがあったけど、結果的にかけがえのない友人ができた。
看護師は医者の言うこと聞くだけなんかじゃないということにも気づけた。
厳しい女社会だったけど、全ての実習が終わった時にみんなでハイタッチしたし、最後はみんなで笑って卒業した。
きっと学生時代も当時の自分だったら相当辛いことがあったと思う。
(思い出すと、一生懸命運動音痴だけど練習した球技大会のバレー競技に、試合当日、具合悪いっていって欠場してくれ、使い物にならないからって言われたの結構きつかったな。)
だけど、なんだかんだこうやってその辛い生活を乗り越えたし、それは自分の糧と思えてる。
もちろん看護師になってからも、看護師になったことを嘆いたこともあるけれど、今の自分は看護師でよかったと、いえるようになったよ。
だから今このものすごく辛くて苦しいこの日々もいつかは元気になるんじゃないかと思ってる。
いや、そう信じたい。
眠剤飲んだら眠くなってきたらどうでも良くなってきたね、この感覚がいつも自分の中にあればいいのになあ、寝たら忘れられるから…
次は幼少期の話ししようかなぁ。