はぶらし/近藤史恵

脚本家の真壁鈴音のもとに、高校時代の友人、古澤水絵が転がり込んできた。
DVを受け離婚、仕事もリストラされた水絵は行くところがないから、息子の耕太と共に、一週間だけ鈴音のマンションに置いてくれと言う。
しかし、一週間の約束が、また一週間延び、更には…。
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私は決して友達が多い方ではない…と思う。 
友達という存在は不思議なもので。
学生時代に、何年も同じクラスで過ごした人もいるはずなのに、今も付き合いがあるのは、3年間同じ高校には通ったけれども、一度も同じクラスにもクラブにも所属したことのない人だったりする。(どこで知り合ったのか、謎。)
そして私は、広く浅い付き合いよりも、狭く深い付き合いをする方だとも思うし、事実、それを望んでいる。

でもそれは言い換えれば、浅い付き合い程度の人に対しては、実はかなり冷たい人間であるということだ。

本作の主人公、鈴音の葛藤の内容は、水絵に対して手を差し伸べる範囲だ。
さして仲が良かったわけでもない相手だけなら、拒否の意を示すことは、まだ簡単だ。
しかしその拒否が、罪のない耕太にまで及ぶとなると、鈴音のそれは罪悪感へと変わる。

 『してあげている』と思っている人と、『してもらって当然』と思っている人。
どこまですることが『善』で、どこからしないことが『悪』なのか。
どこまですることが『信』で、どこからが『疑』なのか。
どこまですることが『守』で、どこからが『攻』なのか…?

曖昧な境界線上をふらふらと綱渡りする鈴音は、いつまで強くいられるのだろう。


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