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ユウレイにならないように、書く

さて手始めにnoteでもやってみるか〜と思ったら、そのメールアドレスはもう登録されていますよ、と言われて唖然。4年前に作るだけ作って忘れられていたアカウントが発掘されました。そういえば何年か前にも、夕飯を作っている途中ふと頭に浮かんだ何かタイトルっぽい文字列の正体が思い出せなくて、ググってみたら高校生のときにやっていた自分のブログにたどり着いたことがあったっけ。(10代の自分が考えていたこと、大人になって読み返した経験ありますか? 私はもうただただ天を仰ぎました。)

そう、私って、何かを思い切りよく始めるのはけっこう得意です。ちょっと周りが驚く勢いでスタートし、短期間にドドッとエネルギーを注ぎ、そして前触れなくブツンとやめてしまう。やめるというより、忘れる。そして関連コミュニティから「最近どう?」とつついてもらって初めて空白ができていることに気づくのです。何やら知らぬうちに不義理をはたらいてしまった……という身勝手な罪悪感も邪魔して、復帰には数年かかる。できないこともある。これをほうぼうでやらかし続けてきました。

そんな私がこのたび懲りずにスタートさせたのは、実はこのnoteだけではありません。お休みしていたコミュニティのうちの1つに復帰し、さらに新しいコミュニティにも参加を決めました。どれもに共通しているのは「書く」ということ。そうそう、私やっぱり、書くことを生業にし続けたいのよ、書いて磨いて何か残したいのよと一人頷きながら手当たりしだい。あまりに馴染み深いスタートダッシュの勢いに少々の不安を感じながら。

きっかけは久しぶりに有休を取って吉祥寺で観た映画でした。

タイトルに添えられた「なりたい私と、なりたかった私。」のあおり文に、シンパシーからくる緊張を感じて、答えを知っているなら教えておくれとすがらずにはいられなかった。やっぱりというか、主人公のうち一人は自分に似ていた。絵画、デザイン、写真などなどいろんなことに手を出しては「なんかしっくりこないんだよね」とちょっとへらへらした奴を装いつつ投げ出してしまう。一つのことに猛進する隣人に焦りと羨しさを感じながら、とりあえずは見て見ぬふり。物語の閉じられ方が優しくて、ほんとうに良かった。

ストーリーの縦軸になっている作中曲はApple Musicで聴ける。Chocolate Sleepoverの『このままじゃ』。

ユウレイになってしまうよ このまま浮いてしまうよ
ユウレイになってしまうよ アラームかけてないだろ

できたら私、ユウレイになりたくないなあ。じゃあ何ができるんですかと問われたとき、こんなものが書けます、と言えるようにしておこう。高校時代のブログの愛おしさ痛々しさはちょっともう自分だけの宝物として、大人に見せられるものを新しく作ろう。(さぼりづらいように仲間を作って手を握っておいてもらおう。)

そんなわけで、懲りずに始めます。書くことでどう生きていこうかは、書きながら考えます。

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