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オジサンの悪意なき好奇心とそれを向けられた側の抱く「気持ち悪い」感情について

写真は「ねっとり」で検索して出てきたイモ。
知らんけど。

途中までFacebookに書いていたのだけど、「あ、これこのまま進めると投稿した時に支障が生まれるな」と察知。

でもアウトプットしないと私の中に負の感情がトグロを巻いて居座るので、いっそ更新が滞っていたnoteに書けばいいんじゃね?みたいな。




今年はオジサンを気持ち悪いと思えば思うほど
自分の居場所がなくなっていく苦しい一年でした。

オジサンのねっとりした好奇心が気持ち悪い。

オジサンたちには“飲み友達”という友情があり、金を持ち合わせているため、店にとっても頻度高く通う上客であります。

たとえ私の方が何年も前からその店に通っていたとしても、ここ2・3年頻度高く通うオジサンの方が、常連たちと顔を合わせ杯を重ね、お店の人たちからも慕われるわけです。

そんな「いいオジサン」を、なんやそんなに顔も出さない金も落とさない女がそっと拒否したりすると「あんないいオジサンを嫌うなんて酷い人」になるのでは……と頭の中グルグル。

そしてさらに、「あのオジサンいるかも」と思うと、ますますその場に足を運びづらくなるのです。

ねっとりした好奇心は、向けられた本人にしかわかりません。

そしてそのねっとりは、あくまでも向けられた側の主観にしか過ぎず、向けた張本人は無邪気すぎて相手がどう感じているか気づかないのです。

否、むしろ、「よかれと思って」の“好意”から起こす言動であり、よかれと思ってやっていたことを突然拒否された感に傷ついていたりして、受け入れられずに苦渋の思いで拒否した側が悪者だったりするのです。

そんなわけで当のオジサンからそっと逃げるばかりでなく「あー、悪者にされてるのでは」と周りの人まで疑いはじめ、どんどん苦しくなっていく、そんな一年でした。


今はLINEやメッセンジャーなど、SNSで個人に直接アクション起こせるため、どんなアプローチをかけられているのか他人にはわかりづらい状況が生まれる時代です。

LINEやメッセンジャーなど「未読」のままだとバッジがいつまでも残り、目を通すと「既読」が相手に伝わる厄介な機能に私が振り回されているだけとも言えますが。



ホームで安心して感じよく人と接しているつもりが、いつの間にかこちらの心地よい距離感を超えてにじり寄られ、無理!と逃げ出したら逃げた分の陣地がなくなり、いつの間にかアウェイになってしまっている。

っていうのが何回か起こり心が削れていきました。

…というのはFacebook向けに、よくいく店のエピソードとして書いた文章。
まあ、ウソではないから。

でも、今一番切羽詰まってるのは…その「気持ち悪さ」を自分の勤める会社内で対上司に抱かされてごらんなさい。

地獄ですよ。。。




と、まあ、私には私なりの「気持ち悪い」と感じる理由があるわけですが、ちょこっとだけ、わからんではないんです。

そもそもオジサンは気持ち悪いものなのです。

特に金を稼ぐ、出世街道を歩む、事業を起こして成功してる自信家のオジサンほど、ナチュラルに気持ち悪いものなのです。

好奇心の塊なだけで、そこに悪意はないのです。

悪意なきキラキラの好奇心を「女」に向けるだけなのです。

問題はむしろ「女として見られたくない」と全力で逃げ出したくなる私にあるのかもしれません。


もう、しゃーないねん。

私だってカッコいい男の人見たら浮き足立つし。

それと同じで、オジサンがなんか自分に感じよく接してくれるLADYをフィルター通してFEMALEにしちゃうのはしゃーないねん。

オジサンがたとえどうあろうとも、ナチュラルに気持ち悪かろうとも、カラッと拒否すればいいだけのところをそれができない私の問題、という気もするんだな。

「キモ!!」って放って一蹴してもいいのです。
私にその権利はあるのです。
誰でも拒否権は有しているのです。

そうでありながら、その拒否権を発動できないのは、きっと、私の中に何かあるのでしょう。

ここが、私の課題なのだと思います。

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