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認知症おじさんとの再戦。

以前、認知症になった元上司の話を書いた。

退職後も会社に現れ、来てはいけないと注意されてもへらへら笑って聞かない彼に、私が喝を入れた一件だ。


何が功を奏したのか不明だが、ここ数か月彼は姿を見せていなかった。

とうとう会社の場所を忘れたのか――わずかな哀傷と確かな安堵を覚えていたところ、先日、またも彼が現れたのである。

「ほら、お前の役目だぞ」と言わんばかりに同僚が私に報告してきた。
私の腹を煮立たせた憤りは、同僚に対するものか、彼に対するものか。


とにかく私は行った。
丁寧に諭す段階はとうに過ぎているので、怒鳴るまではしないものの、努めて冷厳に「帰りなさい」と一言放った。

だが、やはり、彼はへらへら笑いながら抵抗するばかりだ。

私は苦闘再びの現実に辟易して、それ以上言うのをやめ、他者に丸投げする助けを求めることにした。


私と同じ現場の同僚は当てにならない。(わざわざ私を呼びに来るような連中であるから)
そこで私は、社長の奥方で事務員をしている女性にバトンタッチした。
言うべきことも言えない現場連中の体たらくと違い、彼女は自分の立場とそこで果たすべき役割についてよく心得ていて、私の依頼を二つ返事で引き受けてくれた。

だが、私は正直期待していなかった。
彼女は実に柔和な性質の人なので、わかりやすい厳しさは表せない。その威力に乏しい言葉が彼に通じるとは思えなかったのである。


ところが、私は間違っていた。
彼女が注意するやいなや、認知症の元上司があっさり帰ったのだ。

それを目の当たりにした私は、これまで見えていなかった色々のことが一気に見えた気がした。


まず、私は彼にナメられていると気づいた。以前からずっとそうだったに違いない。
軽視された私の注意や叱責に効き目がないのは当然だった。

考えてもみれば私は彼の元部下である。病気がどれほど脳みそをむしばもうと、彼が根本の部分で相変わらず私を下に位置付けていたとしてなんら不思議はない。
言葉や理屈が十分に通じるならまだしも、それを望めない相手に軽視されてはこれを御するのは難しい。

こんな当たり前のことに、私は今まで思い至らなかった。
なぜか。
私もまた、彼を軽視していたからだ。

「他者を見下したことがないので他者に見下されたことにも気づきませんでした」と言えればよいが、私は他者を見下したことがあるので言えない。
とすれば、これはもう私が「眼中にない」というレベルで彼を扱っていたと考えるしかない。
眼中にない相手は見下しようもない。だから、その相手に自分が見下されているなどと勘繰ることもない。
私の彼に対する認識はそういうものだったのである。


私はこれまで、彼に対応するにおいて責任感と言えば聞こえはいいが、実のところ妙なこだわりがあった。

自分がどうにかしたい、というこだわりである。

現場の連中と自分を差別化したいとか、かつて彼との間で業務上の関わりが深かった自分にこそ役目があるに違いないとか、そういう気持ちや考えが自分にあることは認めていた。
面倒事を他人に任せてしまうのは卑怯な気もしたし、私自身が彼に憤りを覚える以上その対応としてみずから動くのは筋であるとも考えていた。
だが私は、最も醜い自己の心理には都合よく盲目だった。それは、

彼を屈服させたい、という欲望である。

自分なら彼を――認知症の彼くらい、屈服させられるはずだという無根拠の自信、驕りもあっただろう。


もっと早く自分と彼の互いの軽視に気づき、自己の内側に潜む醜い心理に気づいていたなら、私の苦闘は全く不要だったに違いない。
自分には資格も適性もないと認め、他者に役目を任せていたなら、彼を会社に来させないという目標もずっと早く達成できていたかもしれない。彼が私に喝を入れられ嫌な思いをすることもなかった。
私が必要と信じてやった苦闘は、彼のためにもならず、会社のためにもならず、ただ私が信じるもののためでしかなかった。


事務員の彼女(社長の奥方)は、認知症の彼にとって私より遠い存在である。
だからこそ彼女の言葉は彼によく効いたのであろう。
幼い子が母親に叱られるより近所のおばさんに叱られるほうが怖いのと同じだ。

私がやっていたのは、自分が出せる薬を、一錠で効かなければ二錠、二錠でダメなら三錠と量を増やしていっただけのことだ。
別な薬を試すという、至極簡単なことが頭になかった。


生きていく中には、あくまで自分でやるべきことや、自分でやらなければ意味のないことはあるだろう。
が、それは本当に自分でなければならないことかよく考え、場合によっては、自分以上に適性のある他者を頼るべきだ。

実りのない苦闘など、二度と繰り返さぬようにしなければならない。