K.M.

文芸と自分が大好きです。 小説、俳句、エッセイ、作詞、読書に触れながら、私の人となりが…

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文芸と自分が大好きです。 小説、俳句、エッセイ、作詞、読書に触れながら、私の人となりが見えてくるnoteを目指します。 おかしなやつだと思ったら是非フォロー&スキをよろしくお願いします。

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最近の記事

小説『ある僧の記憶』

 ムクティ・ブシャラが他者と比較して特別だとすれば、それは子ども時分のほうが顕著だった。今ではすっかり年老いて物覚えが悪くなったが、幼い頃の彼はずば抜けた記憶力を持っていた。何気ない一日を取り出してその日見た全ての景色を一年経っても事細かに語ることができたし、昼間農作業をしながら小耳にはさんだ大人の雑談を夜眠る前に一語一句違えずにそらんじることもできた。その力は胎内にいる時からすでにあって、母が誰かの面前では決して口にしなかった義父に対する不満を幼いムクティが言い当てた時、彼

    • 小説『学ばなければ』

       ディア・ウダリは、マノジがオットーに来て間もない頃、たびたび寄宿学校を抜け出して町を散策するうちに知り合った少女である。歳は十四五くらいだったろうか、当時九歳のマノジにとって、教師より親しみやすく、友達より刺激的な、大都会オットーの女神だった。  マノジはディアを姉のように慕い、ディアもまたマノジを弟のようにかわいがった。彼女はいつも同じティーシャツと丈の短いデニムパンツを着て――しかし汚れているのを見たことがなかった――いつも手作りの装飾品を作っているか、売っているかし

      • 勉強したての哲学をChatGPTと議論した記録。

        ChatGPT この文章には一貫した論理があり、説得力のある議論が展開されていますが、いくつかの点について精査すると、以下のような誤りや改善の余地が見つかります。 ポイントごとの評価 対立の重要性と相互承認の代替可能性: 「争うことによってそれぞれの差異が浮き彫りになる」と「対立だけが互いの差異を明確にする手段ではない」という主張は、対立が重要である一方で、相互承認もまた差異を明確にする手段であるという立場を示しています。これは論理的に整合しています。 対立の原因と

        • YouTubeやーめた!

          ここ二三か月YouTubeをほとんど観ていない。 以前は毎日少なくとも一時間は観ていたのだから、これは大変化である。 本の要約系チャンネルでは、広く浅く様々の知識を得られた。 ひとん家の猫を眺めながら寝落ちしたこともある。 六丸の下ネタ動画では、才能の違いを思い知らされたものだ。 何より刺激的だったのは、岡田斗司夫、武井壮、梅原大吾らの切り抜き動画だった。 彼らの持つ知識や人生哲学は、私を感嘆させ、発奮させ、落ち込ませた。 振り回されていたとしても、それでよかった。 人

        小説『ある僧の記憶』

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        • 自作文学
          9本
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          17本
        • エッセイ集
          26本

        記事

          コンビニの通路で車いすのおじさんを追い抜いた。直後、立ち止まっていた私の脚に車いすをぶつけてきた。十中八九わざとだと思ったが、決めつけは良くない。今度彼を見かけたら、もう一度同じことをして確かめてやろう。

          コンビニの通路で車いすのおじさんを追い抜いた。直後、立ち止まっていた私の脚に車いすをぶつけてきた。十中八九わざとだと思ったが、決めつけは良くない。今度彼を見かけたら、もう一度同じことをして確かめてやろう。

          認知症おじさんとの再戦。

          以前、認知症になった元上司の話を書いた。 退職後も会社に現れ、来てはいけないと注意されてもへらへら笑って聞かない彼に、私が喝を入れた一件だ。 何が功を奏したのか不明だが、ここ数か月彼は姿を見せていなかった。 とうとう会社の場所を忘れたのか――わずかな哀傷と確かな安堵を覚えていたところ、先日、またも彼が現れたのである。 「ほら、お前の役目だぞ」と言わんばかりに同僚が私に報告してきた。 私の腹を煮立たせた憤りは、同僚に対するものか、彼に対するものか。 とにかく私は行った

          認知症おじさんとの再戦。

          エッセイ『丸刈りの愉しみ』

           初めて母以外の女性に髪を触られたのは十七八の時だった。当時よい仲だった人と漫画喫茶のカップル席に座り、ニコニコ動画を見始めた彼女が私の頭にヘッドフォンを付けてくれたのだった。彼女の指が襟足をかすめた時の、あのぞわぞわした高揚は忘れられない。  私は彼女と共有できる愉しみとして、当時夢中だった映画『食人族』の違法アップロード動画を見せた。文明国の探検隊が密林の原住民を追いかけまわしている隙に、私は彼女の頭にヘッドフォンを付けてあげた。女性の髪のなんと柔いことを知った青春の一

          エッセイ『丸刈りの愉しみ』

          中学の頃、この女優さん胸ポチしてるじゃん! ということだけ鮮烈に記憶した映画を二十年ぶりに観た。そんな場面はどこにもなかった。あれは青春の幻だったのだろうか……。

          中学の頃、この女優さん胸ポチしてるじゃん! ということだけ鮮烈に記憶した映画を二十年ぶりに観た。そんな場面はどこにもなかった。あれは青春の幻だったのだろうか……。

          私の「スキ」は重すぎたのか。

          岡田斗司夫著『超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略』を読みました。 SNSの登場によって加速した情報化社会を、心地良く、豊かに生き抜くための戦略(生き方論)が書かれた本著。 ざっくりまとめるとこんな内容です。 *** 歴史を振り返ると、戦国時代のように争いが苛烈な時代には「能力」が評価されやすく、比較的平和な時代には「徳」が評価されやすい。二十世紀後半の日本は(経済的に)前者だったが、現在は後者へとシフトしつつある。 だから「徳」を重視する、つまり「いいひ

          私の「スキ」は重すぎたのか。

          生姜には体を温める効果があるそうで、好物のあおさの味噌汁に入れてみた。すごいぜ生姜パワー! あおさの風味を完璧に殺してる。

          生姜には体を温める効果があるそうで、好物のあおさの味噌汁に入れてみた。すごいぜ生姜パワー! あおさの風味を完璧に殺してる。

          認知症おじさんとの苦闘。

          「いい加減にしろよ、お前」 私は感情的になることのないよう、しかし〈憤り〉を表現しなければならなかった。 相手は自分の父親であってもおかしくない歳の男だ。実際、彼の二番目の子と私は同い年である。 彼は私の上司だった。 かれこれ三年ほど前、彼に認知症の兆候が現れた。 会社の恩情もあってだましだまし仕事を続けていたが、今年の四月、とうとう退職を迎えたのである。 定年まであと二年だった。 製造業の会社で、彼は現場の大黒柱と言っていい存在だった。 温厚な性格で人当たりもよく、

          認知症おじさんとの苦闘。

          大衆の愚かさと醜さを浮彫りにする怪作映画『ザ・ウォーク』

          1974年8月。 大道芸人フィリップ・プティはある偉業を成し遂げる。 所はアメリカ・ニューヨーク。 400m超の当時世界一の高さを誇った高層ビル・ワールドトレードセンター。 ツインタワーと呼ばれる二棟からなるこのビルの間を、彼は綱渡りしてのけたのだ。 ―――― 以前から気にはなっていた本作、ようやく鑑賞できました。 興味を持ったきっかけはネットでの高評価と、何より、この内容が実話という事実。 しかし、私はずっと本作を観ることに不安を覚えていたのです。 もし予想通りの映画

          大衆の愚かさと醜さを浮彫りにする怪作映画『ザ・ウォーク』

          このムカつく返答が当たり前の社会になったほうがいいのかもしれない。

          先日、漫画喫茶でのことです。 私はよく漫喫でカラオケを楽しむのですが、行きつけの店が JOYSOUND を撤廃するという暴挙に出たため、仕方なく別の店に行きました。 初めての店でしたがカラオケは問題なく楽しめました。 普段通り初恋の記憶が飛ぶほど村下孝蔵を熱唱し、さてひと休み。 無料のソフトクリームでのどちんこを冷やそうとしたときです。 慣れない店ゆえ、ソフトクリームメーカーの置き場がわからなかったのです。 私はフロントに行き、自分より一回りは若い店員に尋ねました。

          このムカつく返答が当たり前の社会になったほうがいいのかもしれない。

          「素直が一番 理屈は二番」とカレンダーの標語。気に入らなかったので「素直と無知の 紙一重」と続けて都都逸ふうにしてやりました。

          「素直が一番 理屈は二番」とカレンダーの標語。気に入らなかったので「素直と無知の 紙一重」と続けて都都逸ふうにしてやりました。

          『死ぬのが仕事だあ』と言った婆ちゃんがいよいよ。

           昨夜母から電話があった。第一声から悲しみの夕暮れみたいな声だったので、「ああ婆ちゃん死んだかな」と思ったら早とちりだった。もうじき死ぬだろうという話だった。私の実家を死の床とする祖母に今日、私は会いに行ってきた。  医者いわく、祖母にはもう食物を処理する力がなく、食事させると余計に苦しいだけらしい。木曜から水すら口にしていない祖母は痩せこけて、しかし穏やかな顔をしていた、というのは私の願望を見ただけに過ぎないのかもしれないけれど、正直な印象だ。何色でもなくこちらを見つめ返

          『死ぬのが仕事だあ』と言った婆ちゃんがいよいよ。

          失われた時を求めて。

          雨の日ってやつはどうにも気分がノらない。 春の生暖かい空気で満ちた部屋に一日中こもっていると頭が重くなる。無為に時間が過ぎていく。うっかり二度三度の自家発電でオイル切れだ。 ようやく動く気になったらもう夕方の四時で、失われた時を思ったら自己嫌悪のあまりベッドの上で後転した。後転は両足の爪先がみずからの頭の上に来るところで停止するとまれに肛門が開く。1013屁クトパスカルの大気が私の菊門を押し広げるという意味だ。小学生の頃、この神が創りし法則に気づいた私は居間の真ん中でよく大気

          失われた時を求めて。