言葉選びで伝わってしまうもの

昔、平成になったばかりの証券会社で働いてた頃。
先輩の営業マンが電話でお客さんと話しているときに。
電話口で立って、お辞儀しながらしゃべってるのを見てたので。
三つ子の魂百まで、と言いますか。
ぼくも今でも、電話口で「ありがとうございます」というときに、頭を下げてたりするんですが・・。

ぼくは、「自分で思っていることは、自分で思っている以上に相手に伝わってしまう」と思ってまして。
なので、ウソがつけるほど頭の回転が速くないぼくは。
建前とかダブルスタンダードはナシ、本音だけで生きていこう!と決めてます。

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かように、自分の顕在意識だけではコントロールできずに伝わってしまうものとして。
声のエネルギーとか、表情とか、顔の造りとか、姿勢とか、距離感とか、オーラのようなもの?とか・・。
いわゆる非言語なものが、いろいろあると思ってるんですが。
そういうもののうちの一つに、「言葉遣い」というのもあると思ってまして。

日本には「言霊(ことだま)」という言葉があるように。
感情とか想いとか本音とかが、コントロールできずに言葉選びに出てしまうのだと思っています。

なので、「意識して」というべきなのか。
「自然に」といった方がいいのか、自分でもわかってないのですが。
今の自分の言葉遣いを振り返るに、いつくか習慣化しているものがあるなあ、と思うものがあったりします。

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一番顕著なのは、敬語や丁寧語の使い方なんですが。
こういうのをナチュラルに適切に、ごく当たり前そうに使ってる人を見ると、カッコいい~と思ってしまいます。
社会人なりたての頃って、敬語が難しかったもんね~。
基本、慣れ・回数でしかないんですが・・。

ぼくは敬語については、さらにもう一段階上のレベルがあると思ってまして。
その場にいない人に対しても、敬語をしっかり使ってる人って。
裏表なく、その人のことを立てていて、信頼できそうに感じます。
ま、そこをあざとく使う・・という手も、ビジネスではよくあるんでしょうけどね~。

でも、敬語の使い方というのは、「TPOに応じて使う」という部分が難しくて。
敬語を使ってるうちは、一定の距離間を保っている・・ということにもなるので。
大阪なんかがそうなんですが、例えば、入院した時にずっと看護婦さんに丁寧語を使ってると。
なかなか打ち解けない人・・的に見られてしまったりします。

かように、結構難しい敬語の使い方なんですが。
それなりの歳を重ねて、TPOに合わせて自然体で敬語の使い方が上手な人に、ぼくは惹かれてしまいます。

もう一つ、敬語とは別の観点から言うと。
感謝の気持ちが乗っている言葉遣いというのも、いいなあと思ってます。

例えば、「業者に何々を持って来させる」の代わりに。
「業者さんに何々を持って来てもらう」のほうが、自分が「業者さん」のことを丁寧に見ていることが伝わると思うし。
逆に言えば、「持って来させる」の場合は、相手を見下しているのがバレバレになってしまう、ということかと。

英語だと、どっちも「let + 人 + 動詞」の表現しかないので。
日本語って、よくよく繊細に作られているものだと思います。
使う人の心が、言葉選びにもろに出ちゃう・・ってことなんですよねえ。

きっと、言葉遣いに関しては、「敬語」にしろ「感謝」の気持ちにしろ。
ビジネスの場面では、大体の人は抜かりなくできている、と思うのだけれども。
ビジネス以外の場面では、素が出てしまうことが多いんじゃあないかと。

そして、そういうのは、ぼくみたいに文字にしていなくても。
みんな、なんとなく感じてしまう、分かってしまうことなので。
そういうのができてる人にはできてる人が。
できてない人にはできてない人が、自然と集まっていくのだと思います。

ぼくは、言葉遣いに神経を使うよりは、自分の本音をコントロールする方がラクだと思ってしまうので。
人に対しては、老若男女や社会的地位、経済状況等に関わらず。
ウソ偽りなく、対等で・見下さず・尊敬の念を持って、接するようにしてるんですけどね~。

今回も、特にオチはないんですが・・。
こういうのは、社会人になりそうな年頃の子たちに、教えてあげたいなあと思います。

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