ぼくにとってのfreeの意味:ビジネスの視点から抜け出せたこと
*2023/3/10作成
今のぼくは、会社勤めをしてなくて、家族がいないので。
世間的にはかなり珍しいレベルで、制約が少ない=freeな生活をしているのだと思ってます。
ぼくの場合、「制約が少ない」というのは、例えば、
・自分一人分の義務や責任しか負ってない(家族やチームとしての責任は負っていない)、とか、
・仕事上の、例えば「いついつまでに〇〇〇をする」などの約束を持っていない、とか
・(目先だけですが)時間やおカネを自由に使える、とか
・世間の常識や社会の評価を気にしていない、
・・など、いろいろあるのですが。
この間、面白いなと思ったのは。
初めて鴨川の新居に遊びに来てくれた友達と料理の話になったとき。
彼が言うには、「効率的に手早く料理ができるように、段取りを考えるのが面白い」のだと。
普通に当たり前な会話なんですが。
ぼくがこれを聞いたときに、反射的に思ったのは。
「料理を作ってる、その瞬間が楽しいんじゃん。
時間なんて気にしなくていいじゃん~。」
ということでした。
ま、ぼくの言う「料理」とは、切る・焼くのレベルでして。
料理の楽しみ方など、人それぞれでよくて。
彼は彼で、効率的な料理プロセスの模索を楽しめばいいと思うのですが。
何が言いたいかというと・・。
仕事の世界にどっぷり浸かってると。
短い時間で終わらせるには?という効率性の視点とか。
顧客やチームメンバーはどう思うか?多くの人はどう思うか?という、他人の視点でモノを考えがちになる。
そして昔のほくは、特に考えもなく当たり前のように、「仕事の世界」の視点で自分の私的生活を見るようになっていて。
でも、それら効率性・他人の視点は、ぼくの感性や好き/嫌いには関係のない、居心地の悪いものが多かったので。
だから、いろんなところに不具合が生じてしまって、最後は「ウツ」になってしまったのだなあ・・と今では思っています。
私的生活の部分については、自分の居心地の良いようにデザインしてよかったのにねえ・・。
・・だから。
時間を気にせずに、自分が楽しいようにモノゴトを見ている、今の自分に気がついて。
そして、その友達が「東京にいた頃の自分」だと気がついて。
自分は鴨川に来て、「ビジネス感覚」という縛りからfreeになれたのね・・ということを体の感覚で理解できました。
大学の受験勉強のとき、「free from xx」で「xxから免れる」という意味だと習いましたが。
まさにぼくの場合は、ビジネス感覚とかビジネスの常識から免れることができたことが、自分らしさを取り戻す上で一番大きかったのだろうなあ、と思います。
ただの友達との会話から得たインスピレーションでしたが。
ぼく的には面白い気づきだったので、ちょこっとメモしてみました。