(みんなの広場) 8月15日という「終戦の日」
8月15日、日本人にとってこの日は「終戦記念日」あるいは、「敗戦記念日」である。一方、台湾、中国、韓国といった日本帝国に支配を受けていたアジア諸国にとって、この日は「独立記念日」であろう。
しかし、実を言うと「日本が引き起こした太平洋戦争」が終わりを告げたのはこの日ではない。日本がポツダム宣言を引き受けたのは8月14日、日本軍に休戦命令がだされたのは8月16日である。そして、もっとも重要なことであるが、日本が降伏文書に調印したのは9月である。
では、8月15日は何か。それは、いわゆる「玉音放送」が流れた日である。そして、宝でも、なんでもないこの放送を使って、「お盆」、「天皇」、「終戦」とを結びつけた。
確かに台湾や韓国では8月15日を「光復節」、北朝鮮は「解放節」と言われており、8月15日は「帝国からの解放」を象徴する日として定着しているのは事実である。実際に「放送」がながれたすぐ、朝鮮半島では、朝鮮総督府は、自らの安全を守るために、ヨ・ウニョン(呂運亨)を筆頭とする「建国準備委員会」と交渉に入った。だからといって、この日をもって戦争がおわったというのは事実ではない。まず、この放送は音質が荒く、難しいため、内容を理解する人はそれほど多くなかった。実際、その後も列島以外でも戦闘は続いてたのである。
8月15日が「終戦」であるという認識がつくられたのは、戦後の高度経済成長期においてである。池田内閣が1963年に出した「全国戦没者追悼式実施要項」で、8月15日が「終戦日」として明確化された。この作業(お盆の時期に重ねる)によって、天皇の権威を基礎とする「国民=日本人」がでちあげられた。降伏という過程を通じて、天皇は神ではなくなったが、戦後の産業化のなかで、ふたたび権能をとりもどしたわけである。
重要なのはこれが何を意味するのかということである。「天皇の復建」の過程のなかで、日本が引き起こした「帝国主義犯罪」というものは、薄められ、「死者」を悼むという文化だけがひとり歩きしている。日本人は、8月15日になると、集まって「反戦」と「平和」を謳う。が、そこに「天皇」の名のもとでおこなわれた「虐殺」や「戦争犯罪」はない。加害者性を認識することのない集会になんの価値があるのだろうか。
終戦日(敗戦日)がいつなのか、という問題は重要ではないが、重要である。本日的には戦争が終わったことが重要なわけであるという意味では、日時は重要ではない。しかし、日時を設定することでおこなわれる「政治」がどのようなものなのかという面では重要であろう。「もはや戦後ではない」というフレーズは、日本の成長を表象するが、実はまだ戦争は終わってすらない。平和が欲しいのか?いまも記憶と政治のなかで苦しめられ、闘ってきた(いる)者ーアジアの住民、被差別民族、女性、社会主義者ーを忘れるな。終戦を記念するということはそういうことだ。ただ単に「反戦」、「反暴力」をとなえても、日常化された抑圧を隠蔽するだけだ。
〔J.L(無職学生)〕
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