人生邂逅 ・まなび編 ◆特別編
義父との別れ
4月30日早朝 義父が97歳の生涯を閉じました。
私とは、46年間のお付き合いでした。
初めての出会いは、妻との結婚の許しを頂くために自宅を訪問した時。
まだ、学生の身で。
就職も決まっていないのに、良くも大胆に!?
正直、殴られることを覚悟の上でした。
何を話して、どう答えて頂いたかは覚えていませんでしたが、殴られはしませんでした。
この日は、梅田の行きつけのお寿司屋さんに連れていかれ、呑んだことは記憶にあります。
あれから、ほぼ半世紀。
義父は、10代半ばで富山の実家を出て、呉の軍艦造船所を経て、親戚の伝手で大阪の日用雑貨の問屋で働くことになったそうです。
ところが、訳あってその問屋が倒産の憂き目にあい、35歳半ばの義父に再建の白羽の矢が立ち、周りの支援もあって何とか立て直したそうですが、その頃のことを懐かしく話してくれたことを覚えています。
その後は、時流もあり比較的順調だったようですが、2,000年以降は流通革命の荒波に揉まれ、存続が危うい中を何とか努力に努力を重ねて、2年前 95歳まで社長として問屋業を営んできたのです。
規模こそ小さく、吹けば飛びそうだったのでしょうが、60年間も経営者として続けてこられたのは、並大抵のことではなかったと想像します。
家族の思い出は、子供(孫)が生まれてからほぼ毎年、お盆には有馬温泉に出かけ家族水入らずで、プールと温泉三昧で楽しんだこと。
私にとっては、優しくて頼りがいのある、かっこいい義父で、尊敬できる方でした。
見るからに穏やかで、相手をけっして不快にさせない不思議な魅力をもっておられました。
とにかく、ゴルフが大好きで、会社主催のコンペを30年以上続けていました
会話に行き詰まったら、ゴルフの話。
打ちっぱなしにも連れていかれ、ご指導頂いたこともありますが、センスが悪く、あまり上達はしませんでした。
一度、孫二人と一緒に4人でグリーンに出ようと企画したこともありましたが、結局実現できませんでした。
カラオケも上手で、何度かご一緒しましたが、得意な歌は「ラブイズオーバー」、「野風増」と「北国の春」。
そういえば、亡くなった日に高齢者施設を後にするとき、カラオケDVDで「野風増」をかけて下さり、粋な計らいをして頂きました。
施設には、11か月の入居でしたが、スタッフの方にはとても良くして頂いたようで、今年の誕生日に撮った写真の笑顔にそれが表れていました。
97年間、ほんとうにお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
野風増の歌詞にある、
「いいか男は生意気ぐらいがちょうどいい。いいか男は大きな夢を持て!」
きっと、義父はこのままの人生を生きてきたのでしょう。
ゆっくり、こころとからだをお休めになって下さい。
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