人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -46
空海 秘蔵法鑰 第五章 抜業因種心 より
「彼らは師について修行するのではなく、散る華や落ちる葉を見て、その自然現象の中に生・住・異・滅と変わっていく世の無常を覚るので。・・・」
とあり、自然から学ぶことの大切さを説いている一節があります。
ココを読み、思い浮かんだことがあります。
テレビドラマ「母の待つ里」(浅田次郎原作)の1シーンに、主人公の一人が、お通夜の席で
「なぜ、この人の言葉はこんなにも胸に響くのだろう。とずっと考えていたが、やっとそれが分かったような気がする」
「このひとの言葉は、この里と同じように、自然だからなのだと」と。
この自然だからこそ、人の心を打つ。という言葉に、空海が説いている自然の持つ力をダブらせてみた次第です。
解釈には少し無理がありそうですが。 ご容赦ください。
ひとは自然のままに育つことは、まずありえません。
どんな秘境の地であったにしても、成長の過程で幾分なりとも、外部からの影響を受けます。
一般論として、その人の個性がありのままに現れるのはせいぜい10歳くらいまでで、それ以降は良くも悪くも外因により変えられていくといわれています。
自分自身を振り返ってみても、やはりそのような気がします。
私の場合は、教職員一族ともいえ、母親はもとより祖母、叔父叔母がそうであったこともあり、かなりの矯正力が働いていたように感じます。
その結果を象徴しているのが、
高校1年生の時の担任で柔道部顧問の先生から、突然裏山に呼び出されて
「このままだと、面白みのない人間になってしまうぞ!」
と、言われたことです。
だからどうしろ。とは言われませんでしたが、かなりショックではありました。
後から思うに、これが伏線となって大学では「応援団」に自ら進んで入団することになったのかもしれません。
もちろん、意識の中での入団理由は、ほかにあるのですが。
いずれにせよ。この4年間で経験したことは自然度(?)を取り戻すのに役立ったように思います。
良きにつけ、悪しきにつけ。
話は変わりますが、
「天然」という言葉を時々耳にします。
芸能人のトーク番組などで。
結構きわどい話をするのですが、何故かそれに嫌悪感を感じない。
むしろ、よく言ってくれたと爽快な感じさえするのです。
これもまた、自然であり、純粋かつ作為的でないことゆえと納得します。
芸能人に限らず、職場や交友関係の中でも時々出会う方がいて、幾人かの顔が浮かびます。
今度お会いできたなら、どうやってそのピュアさを保ってこられたのか聞いてみようと思います。