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人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -28
歎異抄 第五条 より
梅原先生は追善供養を取り上げて、
「お前は父母を救済するほど立派な人間であるか、お前が救われたら自然に父母が救われるのではないかと親鸞は言っているのではないかと思う。」
と説いておられます。
ココには、僭越ながら私にも共感できるものがあります。
今から遠い昔。
1979年。(初代ウォークマンが発売された年)
ソニーへの就職が決まり、仙台に配属が決まった時点の心境です。
当時はまだ、東北新幹線が開通する前。
岡山の美作落合駅から宮城の多賀城駅までは、恐らく12時間以上がかかったと思います。
そのような遠隔地に一人息子が仕事のためとはいえ、両親を置いて行ってしまう。
なんと親不孝なことか!
大学の時でさえ、大阪に行ったことで、親戚からはそのように言われたものです。
正直、まさか仙台工場に配属されるとは思ってもいませんでした。
せいぜい厚木工場か、あわよくば横浜の中央研究所。
3月時点で配属先が記された通知が届いたときは、大いにショックでした。
しかし、いまさらじたばたしてもどうする子もできません。
前に踏み出すしか道はない。のです。
「親不孝」の3文字がずっと頭をよぎりましたが、
このとき、考えたのが
親のことを思って、岡山県内、もしくは大阪あたりに就職先を選んでいたとして、
本当にそれで親のためになるのか?
もちろん、自分が納得もし充実感が得られる仕事であれば、それはそれでいいのでしょうが、
勤務地だけのために、ほかの条件を犠牲にするのであれば、それはけっして
親孝行とは言えない。
親は、子供が幸せであることが一番。である! と考えるものだ。
と、自分に言い聞かせて、「親不孝」の雑念を払おうとしたことを思い出します。
結局のところ、このことで両親と向き合って話したことはありません。
本心がどうだったのかは、不明なままです。
仙台配属後3年半で東京に異動し、横浜に転居したことで、距離は随分縮まりました。 特に精神面では。
それでも、岡山の県北は僻地には違いありません。
横浜線 鴨居駅 ⇒ 新横浜駅 ⇒ 新大阪駅 ⇒(高速バスで)美作落合 ~ ここからタクシー
この距離を年2回は子供を連れて里帰りしたのですから、
親孝行なほうでしょう。
「お前が救われたら、自然に父母が救われる」ことを一心に信じての
仙台勤務でした。
親鸞聖人がおっしゃるのですから、間違いはありますまい。
もう、かれこれ44年も前になります。