人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -33
「歎異抄」 から 「正法眼蔵随聞記」 へ
「歎異抄」を読破(一応?)したことから、次の文献として選ばれたのは「正法眼蔵随聞記」でした。
解説者の水野弥穂子氏によると「正法眼蔵随聞記」は「歎異抄」と並んで日本民族が有する宗教的文献のうち、最も広範なる影響をもつもの。
だそうです。
わが実家の宗派が曹洞宗でもあり、道元禅師の教えには興味はあったため、渡りに船のチョイスをして頂きました。
まだ、解説文 「道元・その人と思想」 を読んだにすぎませんが
「歎異抄」の親鸞の教えと比較すると道元の教えは、じつにストイック。
道元は起床・食事・掃除・洗面・入浴など、日常生活のすべての行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説いています。
人生そのものが修行という考えは、わたしには素直に入ってくるところです
もちろん、実践できているかどうかはまったく別ですが。
なお、解説の中で、道元禅師が栄西と出会い禅宗に惹かれたきっけとなる話が紹介されています。
栄西が建仁寺にいた時のこと。
貧しい一人の男がやって来て、親子3人の飲まず食わずの窮状を訴え、なんとか救ってほしいと懇願するのです。
当時、貧乏寺である建仁寺には分け与えるものがなく、栄西はどうしたものかと考え、なんと仏像の光背用に少し取っていた銅板を「これを食べ物に変えるがよい」と分け与えたそうです。
弟子たちは、これを知り「仏物己用」は盗みの罪に等しいと迫ったのですが
栄西は、「たとい私は地獄に落ちようとも、衆性の飢えを救わねばならぬ。それがわたしのほんとうの心である」といったそうです。
この話を聴き、道元は、衝撃を受けると同時に、何か清純なものがあふれ
「どうやら、ほんとうの仏教というものは、この人の指している方向にある」ように思ったそうです。
それまでの仏教者が意としたことは、塔堂を建てる、仏像を作る、経を読み、供養を営むこと。
そして、僧たるものは学問をして人に知られ、国に重んぜられることが究極の目標とされていたのです。
これこそが、目的と手段。です。
本来の目的とは何か?
道元は、栄西の言動に仏教の神髄を見出したのです。
禅宗は、インテリのエリート集団と聞いていただけに、この話はいい意味で意外でした。
けっして理屈一辺倒ではない。
むしろ情が根幹をなしていることに親近感と安心感を感じさせてもらえる 逸話でした。